桜ふたたび 前編
しかし噂は単なる噂に留まらなかった。ジェイのマネーマネジャーが過去に犯したインサイダー疑惑、上海やイタリアマフィアとの関係、ルクセンブルクの隠し口座を臭わす情報が、投資家サイドに流出したからだ。

なかでも、最高機密であるデューデリジェンスデータ(対象企業の価値を決定する事前調査)の漏洩は、致命傷だった。

今回の件で、クローゼのみならず、進行形だった案件がすべて破談になった。

謀略があった。内部に情報提供者がいることは疑いようがなかった。リンは早急な犯人究明を迫った。だが、ジェイは動かなかった。

すべてが虚無だ。AXという強い光に、みな騙され、踊らされていた。その光を失えば、羽虫でさえ彼に近寄らない。

──飛べなくなればお払い箱だ。

一年ぶりの両親の屋敷でも、家族の態度は予想どおり寒々しいものだった。
退院直後の息子に椅子も許さず、一言の慰めもなく冷徹に更迭を言い渡した父。嘲笑を浮かべた兄。表情一つ変えない母。
それがこの30余年間、追い求めていたものの結果だ。しょせん、彼らにとってジャンルカ・アルフレックスという存在は、ビジネスの駒でしかなかった。

──掌には何も残らない。唯一の真実だと信じていた澪さえ、去って行ったのだから。

──ロンドンへ行くのも面倒だな。いっそ、仕事も捨てるか。

見下ろした眼下に、セントラルパークの深い緑があった。

ふと、リンの言葉が脳裏を横切った。

〈小鳥は森にいる〉。
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