桜ふたたび 前編
USBを胸の内ポケットへ収めたジェイは、目の前の状況にうんざりと息を吐いた。
デスクには前任者の遺物である馬蹄型のペーパーウエイト、その下に膨大な書類が彼の決済を待ちわびている。形式だけの合理性のない作業に、ジェイは毎日、渋面を浮かべるのだった。
ジェイは、デスクの端に置かれた郵便物の束を手にした。いつものように差出人だけを高速で確認してゆく。どれもこれも興味がないのか、次々と葬られた書簡がゴミ箱からこぼれ落ちた。
25通目を手に、彼の手は止まった。
封筒から目を離さずペーパーナイフを掴み一気に封を解く。現れたのは、優しい赤薔薇が水彩絵の具で手描きされたグリーティングカードだった。
サンダルウッドの香りが焚きしめられたカードを開くと、軽やかなバースデイソングが流れてきた。そこには、浜辺の風景が広がっている。澪が住む町だと、すぐにわかった。
『Carissimo J. Auguroni per il tuo compleanno! (親愛なるジェイ、お誕生日おめでとう)
柏木さんからあなたがお元気だと聞いてとても安心しました。わたしも元気です。
この手紙が届く頃には、千世の結婚式に参列するためヴェネツィアにいます。
いい式場を紹介してくれてありがとうございます。武田さんも千世も歓んでいます。
ロンドンはいかがですか? 健康に気をつけて、お仕事がんばってください。
素敵なことが沢山ありますように。
愛を込めて 澪』
──愛を込めて、澪。
繰り返し文字を辿り、そのたび、愛を込めてと口ずさむ。
──澪がイタリアにいる。ほんの3時間の距離に!
部屋を飛び出しそうになるのを、ジェイはすんでのところで堪えた。
ジェイは窓を振り返り、ブラインドを引き揚げた。
夏のロンドンの陽は長い。薄群青の空に飛行機雲が2本の白い直線を果てしなく延ばして行った。