桜ふたたび 前編
足許のバスケットからブーブーと震える音がした。
ごめんと菜都に断りを入れ、バックから取り出したスマホ画面に、澪は首を捻った。
もともと電話帳の登録数は両手で数えられる程しかないのだけれど、表示された番号にはまったく覚えがない。間違い電話だろうか? おそるおそる、

「はい……佐倉です」

〈Hello.J speaking.〉

しばらく状況が飲み込めなかった。ちょうど話題のひとが、二度と交わることがないと思っていたひとが、なぜ? ──突飛すぎて頭がついていかない。

〈澪?〉

「は? はい! ……あ、あ、せ、先日はごちそうさまでした」

見えない相手に向かって、馬鹿丁寧に頭を下げる澪に、菜都は横を向いて肩を震わせている。

〈あれは、謝礼だ。私もいい時間つぶしになった〉

嫌味なのか、正直なのか、それとも日本語のニュアンスが間違っているのか。いやたぶん冗談を言ったのだから、気の利いた返しをしなければ──。と、焦れば焦るほど、言葉が思いつかない。

〈明日、髪飾りを返したい〉

考える間もなく「はい」と受けてしまってから、己の迂闊さに後悔した。取り消そうとしても遅かった。

〈8a.mに、京都駅の中央コンコースで会おう〉

「あ、では、千世の都合を──」

〈君一人で〉

静かだけど威圧する声だった。

「ひとりで?」

菜都が澪の表情を盗もうとうかがっている。「か・れ?」と、声のない問いかけに、澪は当惑の顔を微かに横に振り、電話に向かって「でも……」と言った。

〈では明日〉

「待ってください!」と言う澪の制止は、相手の耳には届かなかった。
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