桜ふたたび 前編
今ではすっかり今どきママの菜都だけど、10代の頃は家出をくり返し、派手なクラブに入り浸り、ケンカ揉め事は日常茶飯事、警察のご厄介になることもしばしばで、幼稚園からエスカレータ式に上がったミッションスクールを退学になり、父親から更正施設へ強制入院させられたという経歴の持ち主だ。
ときおり顔を出すはすっぱな言動は、当時の名残。

澪と知り合ったのはまだやさぐれ状態のときで、そのころ、夫となる一馬と出会い、生まれ変わったように落ち着いた。

それでも〈強きを扶け弱きを挫く、正義漢面した悪党〉という弁護士の父親への反抗期は、今でも継続中のようだけど。

幸い他の客は自分たちのお喋りに熱中しているし、芽衣はクマさんのオムライスに夢中になっている。菜都はほっと〝芽衣ちゃんママ〞の顔に戻って、

「でも……やら、うん……やら、澪さんはいつも考えすぎ。人の顔色ばかりうかがって、自分の気持ちを蔑ろにしてる。もっと自分に正直に貪欲にならな、幸せは掴めへんえ」

「幸せ?」と、澪は虚しく響かせた。

幸せは水面に浮かんだ月に似ている。掬おうとすると消えてしまう。掌に水を移しても、指の隙間から逃げてゆく。たとえ今宵、坏に掴まえて夢見心地に眺めても、どうせ月は姿を変えてゆくのだ。明日昇る月を観て、かえって虚しくなるのなら、はじめから望まない方がいい。

「誰にかて幸せになる権利はあるよ。いつまでも過去に縛られていたら、生きていくことさえ虚しくなる。ほんまに、もう、前に進まんと……」

そうだろうか、と澪は胸の内で呟いた。
他者の幸せを壊した者に、幸せになる権利などない。償うことのできぬ過ちを贖う術があるとすれば、生涯、自分が犯した咎を忘れぬことだ。

「誰も独りでは生きていかれへんのよ」

卑屈に視線を落とした澪が何を見つめているのか、菜都はやるかたなく嫌々をした。
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