桜ふたたび 前編
オフィスの窓から卯の花曇りの空が覗いている。

澪は、プリンターのスタートボタンを押すと、窓へ顔を向けた。
硝子の向こうには京都御苑の緑。
季節ごとに塗り替えられる古い森を眺めていると、不思議と落ち着く。今日は鬱々とした空の下、緑から露草色に変化した紫陽花が、断続的な突風に煽られていた。

京都の一等地に自社ビルを構える建築設計会社に、契約社員とはいえ高卒の澪が再就職できたのは、菜都の父親の口添えのほかに、建築CAD資格を有していたことが大きい。

CAD室にはもう1名在籍しているけれど、彼は一級建築士取得のために先輩設計士のアシスタントに付くことが多く、硝子ブロックに囲まれたスペースは、半ば澪の個室となっていた。

澪にはコツコツと一人で行う作業は性に合っている。
細かい作業を淡々と続けられる集中力と、設計士やデザイナーの意図を正確に把握しようとする真面目さで、今では手描きパースやアイソメトリック(完成予定の透視図)の製作も任されるようになった。

〈手先が器用で人一倍根気のある澪に向いている。きっと一生のものになるから〉

ふいに甦った声に、澪は目を落とした。
あんなに厳重に鍵をかけて封じていたものを、こんな風にあっさりと、それも何の痛みもなく思い出すなんて、自分は何て薄情なのだろう……。

澪は大きなため息を吐くと、邪念を払うように後ろに束ねた髪を括り直した。
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