桜ふたたび 前編
ダイニングルームにふくよかな匂いが漂っている。
帆立に生ハム・フレッシュキャビアのオードブル、ヴィシソワーズ、それから血の滴るステーキ。
贅沢なインルームディナーを前に、澪は白いバスローブを握りしめ、自らを供する修道女のように頭を垂れ続けていた。

一旦は帰路に着こうと決めた澪だったけれど、思い切りが悪くぐずぐずしているうちにゆりかもめが運休となり、案内されたりんかい線の駅へ向かうつもりが、極度の方向音痴で道に迷い、さらに急な土砂降り雨に見舞われて、歩道橋の下で足止めを食うことになってしまった。
相変わらずの要領の悪さで、雨宿りから飛び出すタイミングを逸し、やがて狼の群れのように吹き込んでくる雨風に、体がすくんで震えていたところを、通りがかったジェイに拾われて、ホテルに連れ戻されたのだ。

ずぶ濡れのみっともない姿で見つかってしまったことも情けない。それよりも、いくら思案しても決心がつかず、天候悪化を口実にまた逃げに走った自分は、もっと情けない。
結局、振り出しに戻っただけ。感謝も謝罪も、ジェイの怒りを考えると、声を発することもできない。

「問題を整理しよう」

思いがけず平静な口調に、澪はおずおずと目を上げた。
ジェイは激しい雨を背景に、片肘をついた手に顎を乗せ、もう一方の手でワインをスワリングしている。

「ファクターが多いと、ゴールを見失ってしまう。いや、君の場合、答えを見たくないから、問題を複雑化するのか」

ジェイは独り言のように言うとワインを一口含み、ワインについてなのか自分の言についてなのか、頷いた。それから静かにグラスを置くと、改まって背筋を伸ばし、澪をまっすぐに見つめた。

「私は君が好きだ。だから君が欲しい。そして君も、私に恋愛感情をもっている」

直球で言い当てられて、澪は赤面した。
彼への恋心を自覚したのはつい先刻なのに、そう言う気持ちは相手に伝わってしまうものなのか。
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