桜ふたたび 前編

2、風鈴

後祭が終わり、梅雨明けした京都は、地獄のような猛暑日に、寝苦しい夜が続いた。

寝不足のせいか銭湯で湯当たりしてしまった澪は、アパートの外階段でよろめいて危うく手すりにしがみついた。

陽は落ちたけれど夏の空はまだ明るい。京の夕凪時の蒸し暑さは堪える。どこかで赤ちゃんが泣いている。子どもたちの弾ける笑い声、犬の人恋しそうな鳴き声、通り過ぎるバイクのエンジン音、夕飯の煮物の匂い。
いつもの場景なのに、なぜこんなに切ないのだろう。

靴音を響かせぬよう階段を上りきり、額の汗をハンカチで抑えてふと目を上げると、廊下の奥に人影があった。
こちらに気づきおもむろに手すりに凭れていた体を浮かす相手に、澪は小さく会釈をして、やにわに踵を返した。

「どこへ行くんだ！」

澪は、だるまさんがころんだのようにピタリと静止した。

「な、なぜここに？」

澪はすくめた肩越しに怖々と言った。
幽霊でも見たかと思った。ニューヨークにいるはずの男が、いきなり部屋の前に立っていて、面食らわない方がおかしい。

「なぜって……」

意外な質問だったのか、ジェイには珍しく絶句している。

「とにかく──、シャワーを使わせてくれないか？」