桜ふたたび 前編
ミネラルウォータ片手に濡れた髪をタオルでこすりながら、ジェイは身を置く場を探して首を左右にし、とりあえずという風にベッドに腰を下ろした。瞳にはちょっとした驚きが浮かんでいた。

1Kの部屋はおそろしく狭い。玄関すぐ左にユニットバス、右手に古い流し台とガス台、カウンターテーブルを間仕切りに、部屋中央のこたつテーブルを挟んで、テレビとシングルベッド。
もとから物が極端に少なく、壁紙もファブリックもオフホワイト系だから、千世には〈格安ホテルか〉と呆れられていた。

けれど今の澪にとっては、混乱と動揺で羞恥を感じている余裕もない。
ジェイが浴室に消えてからも、冷蔵庫を開けたり閉めたり、狭い部屋をぐるぐると歩き回り、座布団を出すことさえ思いつかなかった。

そのうえ、シャワーを終えたジェイは、バスタオルを腰に巻いただけ。逞しい男の裸体が目の前にあるのだ。目のやり場に困って、ただ赤らめた顔を床に落とすしかない。

窓の外で風鈴が透明な音を奏でた。

ジェイは、汗に濡れたシャツとスーツがきちんとハンガーに掛けられ、カーテンレールで干されている様を、興味深げに眺めながら、悠揚と切り出した。

「なぜ逃げた?」

澪は下向いたまま縮こまった。

「1週間前のメールの返信もない。今日も何度も電話をしたのに出ない」

えっ? と顔を上げ、慌ててバッグを探りスマホを確認すると、1時間以上も前から何件も着信がある。銭湯でマナーモードにしたままうっかり戻すのを忘れていた。

この蒸し暑い中、彼はずっと部屋の前で待っていたのだろうか。シャツが肌に貼り付くほど汗まみれになって。

あれっ? と澪はジェイを見た。

「どうして、ここがわかったんですか?」

さすがの千世も、澪の住所までは教えていない。

「○VLGARIの顧客リスト」

サイズ直しのために住所を書かされたあれかと感心していると、ジェイが指輪のあるべきところに目をやって怪訝な顔をした。

「ringは?」
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