桜ふたたび 前編
「芽衣がな、今日は王子様の夢を見るから、パパはプーさんとねんねしてねって。ショックや」
「ライバルが澪さんやなきゃ、応援してあげるんやけど」
「あんなご立派なひとが婿やなんて、畏れ多くてハゲるわ。なっちゃんまで見とれてたしなぁ」
「カズ君たちなんか敬礼してたしね」
「あれは条件反射。消防長査閲より緊張した。まあ、澪さんみたいな引っ込み思案には、かえってあのくらいな方がええのと違うか?」
「……そやね……」
「大丈夫やて」
「……」
5年前の真相は明かしていないけれど、出産間もなかった菜都に代わり、澪の引っ越しを手伝ってもらったこともあって、一馬も薄々察しているのだろう。彼女がなぜ逃げるように身を隠さねばならなかったのか。そして、菜都の胸にいつまでも残るどす黒い翳りの理由を。
菜都は小さく息をついた。
澪は自分にストイックで負の感情を決して表に出さない。辛いときほど微笑みを浮かべるのは、彼女の癖なのだ。
そのくせ、他人の情動には過敏で、心の奥底に隠している痛みを汲み取って同調してしまう。
澪とつき合える男は、そうとう鈍感か、よほど器が巨きい男だろう。
きっとジェイなら澪を包容できる。そう期待する反面、この恋は上手くはいかないだろうとも思う。性質や心性や属する環境といった基底となる部分が、ふたりはあまりに違い過ぎる。はじめのうちは物珍しく新鮮でも、いずれその違いが鼻に付き無理をして破綻するのがおちだ。
それでも、たとえ澪が再び傷ついても、このまま蹲ったまま、世捨て人のような人生を送るよりはましだ。
問題はあの性格。争いや競いごとが嫌いで戦う前に譲ってしまう。
最悪なのは、物事がうまく運ぶとかえって腰が引けてしまうところだ。
〈わたしの存在が誰かを苦しめていることが恐いの〉
あのときだって、澪は最後まで、心を開いて相手と向き合うことをしなかった。
気持ちを押し殺して、すべて自分の内に溜め込んで、自分ひとりが我慢すれば他人が苦しまずに済むなんて、そんなのは臆病者の的外れな優しさだ。本人は満足でも、結局誰も救われてはいない。
「ライバルが澪さんやなきゃ、応援してあげるんやけど」
「あんなご立派なひとが婿やなんて、畏れ多くてハゲるわ。なっちゃんまで見とれてたしなぁ」
「カズ君たちなんか敬礼してたしね」
「あれは条件反射。消防長査閲より緊張した。まあ、澪さんみたいな引っ込み思案には、かえってあのくらいな方がええのと違うか?」
「……そやね……」
「大丈夫やて」
「……」
5年前の真相は明かしていないけれど、出産間もなかった菜都に代わり、澪の引っ越しを手伝ってもらったこともあって、一馬も薄々察しているのだろう。彼女がなぜ逃げるように身を隠さねばならなかったのか。そして、菜都の胸にいつまでも残るどす黒い翳りの理由を。
菜都は小さく息をついた。
澪は自分にストイックで負の感情を決して表に出さない。辛いときほど微笑みを浮かべるのは、彼女の癖なのだ。
そのくせ、他人の情動には過敏で、心の奥底に隠している痛みを汲み取って同調してしまう。
澪とつき合える男は、そうとう鈍感か、よほど器が巨きい男だろう。
きっとジェイなら澪を包容できる。そう期待する反面、この恋は上手くはいかないだろうとも思う。性質や心性や属する環境といった基底となる部分が、ふたりはあまりに違い過ぎる。はじめのうちは物珍しく新鮮でも、いずれその違いが鼻に付き無理をして破綻するのがおちだ。
それでも、たとえ澪が再び傷ついても、このまま蹲ったまま、世捨て人のような人生を送るよりはましだ。
問題はあの性格。争いや競いごとが嫌いで戦う前に譲ってしまう。
最悪なのは、物事がうまく運ぶとかえって腰が引けてしまうところだ。
〈わたしの存在が誰かを苦しめていることが恐いの〉
あのときだって、澪は最後まで、心を開いて相手と向き合うことをしなかった。
気持ちを押し殺して、すべて自分の内に溜め込んで、自分ひとりが我慢すれば他人が苦しまずに済むなんて、そんなのは臆病者の的外れな優しさだ。本人は満足でも、結局誰も救われてはいない。