桜ふたたび 前編
「憾んでいる?」

思いも寄らない質問に、澪は考え込んだ。
この心のしこりを憾みと呼ぶのなら、誰をわたしは憾んでいるのだろう? 

「わたしが生まれなければ、みんなそれぞれ違う人生を手にしていた。憾むとしたらわたしを。わたしは生まれてきたことが罪なんです」
「生まれたことが罪か……」

ジェイは遠い目をした。

「それなら、私も罪深き人間なんだろう」

ジェイの横顔に苦渋が浮かんですぐに消えた。

「初めて逢ったときのことを覚えている? 澪は桜を見ていた」

コクリと澪は頷いた。

「私は、澪を見ていた。澪と同じ髪の色をした女性を……。あの日、私は、私を産んだ女を確認するために先斗町へ行ったんだ」

驚く澪に、慰めの言葉も同情も、リアクションさえ無用だと言う風に、ジェイは静かに首を振った。

「私は婚外子だ。生後すぐにgenovaに引き取られ、Federico Arflexの実子として祖父の元で育てられた。4才でLondonのPre-preparatory Schoolに、その後はSwissのboarding schoolで学んだから、New Yorkの両親と生活したことはないし、顔を合わせたのも数度。だから、Harvard Universityに合格したとき、喜んで家を訪ねた。歓迎されると期待して。だけど、私を見る母の目は、他人を見るように冷たかった。その直後だった。兄から真実を聞かされたのは」

ジェイは、寂しさと苦しみと諦めの混ざった、卑屈な笑みを浮かべた。

「彼女の愛を得るために、私にできることは、彼女が愛するビジネスを発展させることだけだ。成功し続けていれば、彼女は私を必要としてくれる。虚しい悪あがきだな」

──ああ、彼も独りなんだ。

いつも彼の瞳の奥に見つけてしまう悲しい色は、凛冽な樹氷の森のような魂の孤独のせいだ。家族の愛を知らない彼は、愛されたいともがきながら絶望している。

淋しくて、哀しくて、切ないほど愛おしくなって、澪は思わずジェイを抱きしめていた。抱きしめて、抱きしめて、少しでも、塞ぐことのできない心の穴に吹き込む寒さを、防いであげたかった。

「私も澪も不器用だな。愛を求めれば求めるほど空回りする。私は愛して欲しいと強引になり、澪は嫌われたくないと臆病になった」

ふたりは互いの隙間を埋めるためキスを交わし、胸の奥の氷を溶かすため熱い体を求め合った。
まるで己の存在を確かめるかのように──。
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