不器用(元)聖女は(元)オネエ騎士さまに溺愛されている
第10話 サディアス・ハルフォードという男(※ジェフリー視点)
兄上が恋人と駆け落ちしてから早三年。
初めはどうなることかと思っていた領地運営は、割と上手くいっている。視察と称して息抜きで外出してみると、領民からは自分の良い評価を聞けるからやりがいも感じているくらいだ。
しかし、本音を言えば、俺はこの地を救ってくれた聖女様ことティナの護衛を続けたかった。
このオネエに邪魔されて、できなくなったけど。
「もう、ティナったら、アタシが褒めてもツーンとしてるくせになんで金ぴかが褒めたら喜ぶのよ?!」
「はぁ……」
溜息をついて、目の前の人物を見る。
女みたいな顔をした長身の、長い脚を組んでどっかりと肘掛椅子に座っている男を。
話があるから夜に来いと言って邸宅に呼び出したのは俺だが、来るなり昼間の件で不満を垂れ流し始めるものだから、早くも帰って欲しくなる。
「長くなりそうだから本題に入るぞ。ここ数日で街中には外部の人間の流入が目立って来た。張ってみたところ、どうやら奴らはティナを探しているらしい」
「あら、気づいていたの。さすがは元護衛騎士ね」
「誰かさんのせいで辞めることになったけどな」
「あらまあ、何かあったのかしら?」
「しらばっくれるな」
「で、その外部の人間の出どころはどこなの?」
「……ウィンベリー侯爵家の令息だ」
貴族派の筆頭ともいえる家門だが、ここ最近は支持していたコンラッド殿下が王太子に選ばれなかったことから勢力が弱まると言われている。
「チッ、相変わらず目障りな。元聖女のティナを一族に加えて支持者離れを防ぐ魂胆だろ。ティナに花を贈っていた時にもっと締め上げておくべきだったな」
「おい、化けの皮剥がれてるぞ」
「ゴホンッ……うるさいわね。細かい男はモテないわよ」
苛立たしそうにカップを掴んで紅茶を煽るこのオネエの姿を、是非ともティナに見せたいものだ。
そんなことをした暁には、この身かこの家が跡形もなく消されてしまうだろうが。
サディアスは《茨の騎士》としていかなる時も聖女を守り抜いて来た神殿騎士団きっての先鋭。その活躍を耳にした国王が姫殿下の護衛をご所望したほどの腕前だ。
しかしこいつには、その輝かしい経歴の前に別の話題で社交界を賑わせた男だ。
それがこのオネエの振る舞い。なんでも、ある日いきなりこうなったそうだ。
本人曰く、「侯爵夫人の地位が欲しくてすり寄ってくる令嬢や、なにかにつけて女顔だのただのボンボンのクセにだのケチつけてくる先輩騎士たちのやっかみに嫌気がさしたから、美を極めてオネエになってやったのよ。おーほっほっほ」という理由らしい。
以来、変わり者として認定されたサディアスに言い寄る令嬢は減り、先輩騎士たちは、変わり者に実力で負けるという屈辱に打ちひしがれて陰口を叩かなくなったのだとか。
つまりこの男は、煩わしいものを排するためにオネエになる道を選んだ。
男にしか興味がないというのはただの虚言で、無害そうな顔をして誰よりも近くで獲物を狙っている狡猾な男。
「お前さあ、いつになったら本性を出すの?」
「はぁ? 何の事?」
「しらばっくれるなよ。ティナの前では随分といい猫被ってんじゃねぇか」
ティナの前ではただの明るいオネエだが、こいつはそんな人間ではない。
護衛騎士をしていた頃は、ティナを狙った人攫いがサディアスの手によって死ぬよりも苦しい地獄に突き落とされているのを見せられ続けていた。
仄暗く嗤いならず者たちを締め上げていたその姿は、さながら悪魔のようで聖女の護衛とは言い難かった。
それとは別にもう一つ、この男の恐ろしさを身をもって知ったことがある。
「兄上に駆け落ちの手引きをしたのもお前だろ?」
駆け落ちした兄上がとある平民の少女に惚れていたのは俺が知らない事実だった。
この家に戻ってきた時に初めて執事から聞かされた話で、他言無用であったはず。それにもかかわらずこの男は嗅ぎつけて利用したのだ。
どうやらサディアスは兄上に近づき、駆け落ちの手引きをしたらしい。
その証拠に兄上は今、サディアスの領地で夫婦仲睦まじく過ごしているのだと、兄上から送られてきた手紙を読んで知った。
兄上はサディアスに感謝していると書いていた。しかしサディアスは憐れな恋人たちのために救いを差し伸べたのではなく、ティナから俺を遠ざけるためにそうしたのだろう。
「今日はキャンキャンとよく吠えるわねぇ。もはや狼じゃなくて駄犬ね」
サディアスは溜息をついて大儀そうに立ち上がった。片手で乱雑に前髪を掻き上げると、挨拶も無しに扉に手をかける。
ふいに、ピリリとした空気が部屋中を支配して、猛獣を前にした時のような緊張感が走る。
「駄犬に忠告するわ。ティナに余計なことをほざいたら、この領地なんて一夜にして攻め落としてやるんだからね? アタシの私兵は強いわよ?」
そう言い残して部屋を出ていくと、部屋の中の空気が凪いだ。
「相変わらず怖ぇな。一瞬にして走馬灯が見えたぞ」
強張っていた体の力が弛み、大きく息をつく。背もたれに預ける体には汗がにじんでおり、外気に当たって冷やされた。
「ティナにはほんと、同情する」
首を回して執務机を見ると、かつてティナから貰った不格好なぬいぐるみが大人しく座っている。
クマを模して作ったらしいが、一見すると魔物に取り込まれて魔物落ちしかけたクマにしか見えなかったのは秘密だ。
お守りだと言ってティナがこのぬいぐるみをくれた時のことを思い出すと、胸の奥が痛みをもたらす。
ティナはサディアス・ハルフォードの恐ろしさに気づいていない。きっと、底抜けに明るい変な奴としか思ってないだろう。
「あ~あ、きっと逃げられねぇだろなぁ。可哀想に」
厄介な奴に惚れられてしまったティナに同情する。せめてもの束の間の自由な時間は、ここで楽しく過ごさせてやりたい。
「俺じゃあ奪えねぇもんな。なんせ、相手が悪い」
一目惚れだった。
真っ白な装束を着て人々のために祈りを捧げるその姿に。
魔物が迫ろうと頑として退かず、強い意志を持った翡翠色の瞳で睨み返す姿に。
強く、魅せられた。
護衛騎士として傍にいた頃は、聖女として一人でも多くの人間を救おうと奔走しているティナのひたむきな姿を見て、さらに惚れた。
それなのに俺は、サディアスがティナを連れて帰るためにティナの傍にいられるよう協力してしまった。
「……何やってんだろな、俺は」
今ここで自分を責めたところで事態は変わらず、虚しさが募るだけ。
チリと痛む胸に手を当てて、窓の外で輝く満月を仰ぎ見た。
初めはどうなることかと思っていた領地運営は、割と上手くいっている。視察と称して息抜きで外出してみると、領民からは自分の良い評価を聞けるからやりがいも感じているくらいだ。
しかし、本音を言えば、俺はこの地を救ってくれた聖女様ことティナの護衛を続けたかった。
このオネエに邪魔されて、できなくなったけど。
「もう、ティナったら、アタシが褒めてもツーンとしてるくせになんで金ぴかが褒めたら喜ぶのよ?!」
「はぁ……」
溜息をついて、目の前の人物を見る。
女みたいな顔をした長身の、長い脚を組んでどっかりと肘掛椅子に座っている男を。
話があるから夜に来いと言って邸宅に呼び出したのは俺だが、来るなり昼間の件で不満を垂れ流し始めるものだから、早くも帰って欲しくなる。
「長くなりそうだから本題に入るぞ。ここ数日で街中には外部の人間の流入が目立って来た。張ってみたところ、どうやら奴らはティナを探しているらしい」
「あら、気づいていたの。さすがは元護衛騎士ね」
「誰かさんのせいで辞めることになったけどな」
「あらまあ、何かあったのかしら?」
「しらばっくれるな」
「で、その外部の人間の出どころはどこなの?」
「……ウィンベリー侯爵家の令息だ」
貴族派の筆頭ともいえる家門だが、ここ最近は支持していたコンラッド殿下が王太子に選ばれなかったことから勢力が弱まると言われている。
「チッ、相変わらず目障りな。元聖女のティナを一族に加えて支持者離れを防ぐ魂胆だろ。ティナに花を贈っていた時にもっと締め上げておくべきだったな」
「おい、化けの皮剥がれてるぞ」
「ゴホンッ……うるさいわね。細かい男はモテないわよ」
苛立たしそうにカップを掴んで紅茶を煽るこのオネエの姿を、是非ともティナに見せたいものだ。
そんなことをした暁には、この身かこの家が跡形もなく消されてしまうだろうが。
サディアスは《茨の騎士》としていかなる時も聖女を守り抜いて来た神殿騎士団きっての先鋭。その活躍を耳にした国王が姫殿下の護衛をご所望したほどの腕前だ。
しかしこいつには、その輝かしい経歴の前に別の話題で社交界を賑わせた男だ。
それがこのオネエの振る舞い。なんでも、ある日いきなりこうなったそうだ。
本人曰く、「侯爵夫人の地位が欲しくてすり寄ってくる令嬢や、なにかにつけて女顔だのただのボンボンのクセにだのケチつけてくる先輩騎士たちのやっかみに嫌気がさしたから、美を極めてオネエになってやったのよ。おーほっほっほ」という理由らしい。
以来、変わり者として認定されたサディアスに言い寄る令嬢は減り、先輩騎士たちは、変わり者に実力で負けるという屈辱に打ちひしがれて陰口を叩かなくなったのだとか。
つまりこの男は、煩わしいものを排するためにオネエになる道を選んだ。
男にしか興味がないというのはただの虚言で、無害そうな顔をして誰よりも近くで獲物を狙っている狡猾な男。
「お前さあ、いつになったら本性を出すの?」
「はぁ? 何の事?」
「しらばっくれるなよ。ティナの前では随分といい猫被ってんじゃねぇか」
ティナの前ではただの明るいオネエだが、こいつはそんな人間ではない。
護衛騎士をしていた頃は、ティナを狙った人攫いがサディアスの手によって死ぬよりも苦しい地獄に突き落とされているのを見せられ続けていた。
仄暗く嗤いならず者たちを締め上げていたその姿は、さながら悪魔のようで聖女の護衛とは言い難かった。
それとは別にもう一つ、この男の恐ろしさを身をもって知ったことがある。
「兄上に駆け落ちの手引きをしたのもお前だろ?」
駆け落ちした兄上がとある平民の少女に惚れていたのは俺が知らない事実だった。
この家に戻ってきた時に初めて執事から聞かされた話で、他言無用であったはず。それにもかかわらずこの男は嗅ぎつけて利用したのだ。
どうやらサディアスは兄上に近づき、駆け落ちの手引きをしたらしい。
その証拠に兄上は今、サディアスの領地で夫婦仲睦まじく過ごしているのだと、兄上から送られてきた手紙を読んで知った。
兄上はサディアスに感謝していると書いていた。しかしサディアスは憐れな恋人たちのために救いを差し伸べたのではなく、ティナから俺を遠ざけるためにそうしたのだろう。
「今日はキャンキャンとよく吠えるわねぇ。もはや狼じゃなくて駄犬ね」
サディアスは溜息をついて大儀そうに立ち上がった。片手で乱雑に前髪を掻き上げると、挨拶も無しに扉に手をかける。
ふいに、ピリリとした空気が部屋中を支配して、猛獣を前にした時のような緊張感が走る。
「駄犬に忠告するわ。ティナに余計なことをほざいたら、この領地なんて一夜にして攻め落としてやるんだからね? アタシの私兵は強いわよ?」
そう言い残して部屋を出ていくと、部屋の中の空気が凪いだ。
「相変わらず怖ぇな。一瞬にして走馬灯が見えたぞ」
強張っていた体の力が弛み、大きく息をつく。背もたれに預ける体には汗がにじんでおり、外気に当たって冷やされた。
「ティナにはほんと、同情する」
首を回して執務机を見ると、かつてティナから貰った不格好なぬいぐるみが大人しく座っている。
クマを模して作ったらしいが、一見すると魔物に取り込まれて魔物落ちしかけたクマにしか見えなかったのは秘密だ。
お守りだと言ってティナがこのぬいぐるみをくれた時のことを思い出すと、胸の奥が痛みをもたらす。
ティナはサディアス・ハルフォードの恐ろしさに気づいていない。きっと、底抜けに明るい変な奴としか思ってないだろう。
「あ~あ、きっと逃げられねぇだろなぁ。可哀想に」
厄介な奴に惚れられてしまったティナに同情する。せめてもの束の間の自由な時間は、ここで楽しく過ごさせてやりたい。
「俺じゃあ奪えねぇもんな。なんせ、相手が悪い」
一目惚れだった。
真っ白な装束を着て人々のために祈りを捧げるその姿に。
魔物が迫ろうと頑として退かず、強い意志を持った翡翠色の瞳で睨み返す姿に。
強く、魅せられた。
護衛騎士として傍にいた頃は、聖女として一人でも多くの人間を救おうと奔走しているティナのひたむきな姿を見て、さらに惚れた。
それなのに俺は、サディアスがティナを連れて帰るためにティナの傍にいられるよう協力してしまった。
「……何やってんだろな、俺は」
今ここで自分を責めたところで事態は変わらず、虚しさが募るだけ。
チリと痛む胸に手を当てて、窓の外で輝く満月を仰ぎ見た。