不器用(元)聖女は(元)オネエ騎士さまに溺愛されている
第11話 ある老人のひとりごと(※神殿長視点)
書類に落としていた視線をふと上げると、窓の外は橙色に染まり、夜が近づいている。
「……早く食堂に行かないと、ティナが呼びに来るな」
慌てて立ち上がってふと、その必要がないのに気づく。
ティナはもう神殿を出ていったというのに、この老いぼれた頭はそれを忘れて彼女の幻影を探している。
乾いた笑い声が喉の奥からせり上がってきて、部屋の中に響いた。
ふらつく足で座り直しては、溜息をつく。
この頃はずっと、この調子だ。
「まったく、習慣とは恐ろしいもんだ。あの子が出ていったのを知っているというのに、何度も忘れてしまう」
扉から顔を出して呼んでくれるティナの姿を思い出すと、胸に穴が開いてしまったかのような虚しさが襲い掛かってくる。
「ああ、ティナは今頃どこにいるのだろうか……ハルフォード卿が近くにいそうだな。いや、きっといるな。十中八九いるはずだ」
彼のことだから、もうティナを見つけていることだろう。
ティナが神殿を出た日、ハルフォード卿がここに来て除籍願を出した。
彼が持って来た書類の中には王太子殿下の書簡もあり、殿下の権限でハルフォード卿を護衛に任命するため、速やかに除籍の手続きをせよと記してあった。
ハルフォード卿の話によると、殿下に掛け合って護衛騎士に任命してもらったのだと言う。
その理由を、「ティナ以外の聖女に仕える気はないから」と言い切ったハルフォード卿を羨ましく思う。
「……私にはできない芸当だ」
対して私は、騎士団の要請を受けて流されるままにティナを解雇した。
娘のように思っていたティナを解雇するのには躊躇いこそあったが、「ティナを自由にしてやって欲しい」と騎士団の騎士たちから言われてしまうと、心が揺らいだのだ。
「ティナには幸せになって欲しい。ここに閉じ込めて自由を奪っているのに負い目を感じていたのは確かだ。しかし……」
自由にしてやりたいと思う一方で、自分の居場所を求めて聖女としての仕事に勤しんでいたあの子のことを思うと、これが正しい判断だったのかわからない。
しかし、いつかは聖女を辞めなければならない時が来る。
聖女の仕事は祈りを捧げるだけではなく、前線に出て魔物と戦うのだから、それなりに体に負荷がかかり長く続けさせては体を壊してしまう。
「そうだ。しかたのない事だったのだ」
だから私は、シャーロットが来るその日のうちにティナを神殿から追い出した。
居場所を求めていたティナに居場所を奪われていく様子を見せたくなかったのだ。
どうか笑顔の絶えない日々を送ってくれ。
そして不自由なく過ごしてくれ。
口にすればティナを引き留めてしまうだろうと思った私は、情けないことに、金貨を詰めた袋をティナの手に押し付けることしかできなかった。
気の利いた別れの挨拶ができなかった私を、ティナはどう思っただろうか。
「ティナ、今までお前さんに重荷を背負わし続けてすまなかった。どうか好きなことをしてくれ」
初めてここに来た日のことは今でもよく覚えている。
司祭たちに連れてこられたティナは、知らない場所に不安を覚えているようだった。
私を見つめる翡翠色の瞳は澄んでいて、緊張しているのか、何度も瞬きをしていた。
ほんの小さな子どもだというのに聖女の役目を担うことになったティナは、期待と不安を併せ持った表情で私を見上げていた。
「……お前さんがいないと、どうもこの神殿は静かすぎるよ」
いつの間にか、私はティナを自分の子どものように思っていた。
意地っ張りで努力家で人に頼るのが苦手な愛らしい子。
目の前から去ったというのに、その存在が心に強く焼きついて消えない。
書架に目を向けると、ティナがくれた摩訶不思議な造形のぬいぐるみが鎮座している。
ぬいぐるみをそっと撫でて、ティナの笑顔を瞼の裏に思い描いた。
「……早く食堂に行かないと、ティナが呼びに来るな」
慌てて立ち上がってふと、その必要がないのに気づく。
ティナはもう神殿を出ていったというのに、この老いぼれた頭はそれを忘れて彼女の幻影を探している。
乾いた笑い声が喉の奥からせり上がってきて、部屋の中に響いた。
ふらつく足で座り直しては、溜息をつく。
この頃はずっと、この調子だ。
「まったく、習慣とは恐ろしいもんだ。あの子が出ていったのを知っているというのに、何度も忘れてしまう」
扉から顔を出して呼んでくれるティナの姿を思い出すと、胸に穴が開いてしまったかのような虚しさが襲い掛かってくる。
「ああ、ティナは今頃どこにいるのだろうか……ハルフォード卿が近くにいそうだな。いや、きっといるな。十中八九いるはずだ」
彼のことだから、もうティナを見つけていることだろう。
ティナが神殿を出た日、ハルフォード卿がここに来て除籍願を出した。
彼が持って来た書類の中には王太子殿下の書簡もあり、殿下の権限でハルフォード卿を護衛に任命するため、速やかに除籍の手続きをせよと記してあった。
ハルフォード卿の話によると、殿下に掛け合って護衛騎士に任命してもらったのだと言う。
その理由を、「ティナ以外の聖女に仕える気はないから」と言い切ったハルフォード卿を羨ましく思う。
「……私にはできない芸当だ」
対して私は、騎士団の要請を受けて流されるままにティナを解雇した。
娘のように思っていたティナを解雇するのには躊躇いこそあったが、「ティナを自由にしてやって欲しい」と騎士団の騎士たちから言われてしまうと、心が揺らいだのだ。
「ティナには幸せになって欲しい。ここに閉じ込めて自由を奪っているのに負い目を感じていたのは確かだ。しかし……」
自由にしてやりたいと思う一方で、自分の居場所を求めて聖女としての仕事に勤しんでいたあの子のことを思うと、これが正しい判断だったのかわからない。
しかし、いつかは聖女を辞めなければならない時が来る。
聖女の仕事は祈りを捧げるだけではなく、前線に出て魔物と戦うのだから、それなりに体に負荷がかかり長く続けさせては体を壊してしまう。
「そうだ。しかたのない事だったのだ」
だから私は、シャーロットが来るその日のうちにティナを神殿から追い出した。
居場所を求めていたティナに居場所を奪われていく様子を見せたくなかったのだ。
どうか笑顔の絶えない日々を送ってくれ。
そして不自由なく過ごしてくれ。
口にすればティナを引き留めてしまうだろうと思った私は、情けないことに、金貨を詰めた袋をティナの手に押し付けることしかできなかった。
気の利いた別れの挨拶ができなかった私を、ティナはどう思っただろうか。
「ティナ、今までお前さんに重荷を背負わし続けてすまなかった。どうか好きなことをしてくれ」
初めてここに来た日のことは今でもよく覚えている。
司祭たちに連れてこられたティナは、知らない場所に不安を覚えているようだった。
私を見つめる翡翠色の瞳は澄んでいて、緊張しているのか、何度も瞬きをしていた。
ほんの小さな子どもだというのに聖女の役目を担うことになったティナは、期待と不安を併せ持った表情で私を見上げていた。
「……お前さんがいないと、どうもこの神殿は静かすぎるよ」
いつの間にか、私はティナを自分の子どものように思っていた。
意地っ張りで努力家で人に頼るのが苦手な愛らしい子。
目の前から去ったというのに、その存在が心に強く焼きついて消えない。
書架に目を向けると、ティナがくれた摩訶不思議な造形のぬいぐるみが鎮座している。
ぬいぐるみをそっと撫でて、ティナの笑顔を瞼の裏に思い描いた。