不器用(元)聖女は(元)オネエ騎士さまに溺愛されている
第20話 嵐の予感
どうしてこうなった?
そう心の中で叫んでも、答えてくれる人はいない。
目だけを動かして見上げれば、私を両腕の間に閉じ込めたサディアスの顔が間近に迫っている。
後ずさろうとしても背後には建物の壁があり、完全に逃げ道を塞がれてしまったのだ。
「ティナは、俺に早く消えて欲しいわけ?」
「そ、そんなことを言ってるわけじゃないから」
この状況はまるで、神殿に居た若いシスターたちがこっそり読ませてくれた恋愛小説の一場面のようで。
しかしサディアスは甘い表情をするどころか、金色の瞳の奥に轟々と燃える影を揺らめかせていて、雰囲気なんて欠片もない。
いつものように軽口を叩いたつもりだったのに、おかしなことになってしまった。数秒前の自分を呪いたくなってしまう。
「傷つくなぁ。俺はずっとティナを見守っていたいのに」
「ちょっかいをかけたいの間違いでは?」
「それもある」
「嘘おっしゃい。それが全てでしょ」
サディアスは咎めるような口調だけれど、その表情はどこか私の反応を楽しんでいるように見えるのは気のせいだろうか?
もしそうなら、かなりタチが悪いんだけれど。
「サディアスは護衛の仕事とか領主の仕事があるのに、こんなところで油を売ってていいの?」
「ははーん。ティナは俺が仕事をサボってここにいると思っているのか」
「事実でしょ」
「いいや。俺は今、一世一代の大勝負をしているんだよ」
「……はい?」
毎日私の後ろをついて来ては警備兵ごっこしているくせに、何が一世一代の大勝負だ。
領地で自分の代わりに仕事を片付けてくれている家臣たちに謝れ。
彼らに代わって怠け者の領主を睨みつけてやると、相手は唇の端を持ち上げて不敵に笑う。
何を企んでいるんだと身構えた時にはすでに遅く、額にサディアスの額がぶつかった。
もともとサディアスは距離が近かったし抱きついてくることだってしょっちゅうあったけど、オネエだと思っていたから意識することなんてなかった。
だけど、サディアスがオネエを装っているだけだったと知った今は、サディアスのよく手入れされた髪が頬をくすぐるだけで心臓の音が駆け足になってしまう。
「手強い相手だから着実に確実に落としたいんだけど、いかんせん邪魔者が多くて困っている」
「ふーん。せいぜい頑張ってね。言っておくけど、私は協力しないから」
嫌味のつもりで言ったのに、サディアスがくつくつと笑うものだから張り合いがない。
おまけにサディアスが笑うたびにサディアスの髪が揺れて頬をくすぐってくるせいで心が騒めく。
「な、何がおかしいの?」
「怒るなよ。わざわざ協力するかどうか考えてくれたティナが可愛かったんだ」
「馬鹿にするのもいい加減にして」
「心外だな。俺はこれまで一度もティナを馬鹿にしたことなんてないのに。いつもティナは俺にとっての唯一の崇高な存在だ」
まだまだ馬鹿にされているように思えて仕方がなく、どうにかぎゃふんと言わせたい私はとっておきの一言を捻り出そうとしていたのだけれど――。
こてんと首を傾げたサディアスがいっそう距離を詰めてくるものだから、思考を遮られてしまった。近い。近すぎる。
「俺がいつまでここにいるのかはティナ次第」
「は? え? 私?」
「そう。俺が王都に帰るときは、ティナも道連れだからな」
「なんで私がサディアスの事情に付き合わなきゃいけないのっ?!」
精一杯の力でサディアスの胸を押し返すも、腹立たしいことにびくともしなくて。
己の非力に打ちひしがれる私を、ふふんと得意げな顔で見つめ返してくるサディアスが恨めしい。
「ティナは花で俺はその茨だろ? 花をひとりにさせないから」
ひとりにさせない。そう誰かが言ってくれることを、どれだけ願ってきたことだろうか。
私はいつも恐れていた。
孤児院に居ればいつか、一定の年齢になったら出て行かなければならない。
教会に居ればいつか、聖女としての役割が果たせなくなると出て行かなければならない。
私には揺るぎない自分の居場所が無いのだ。
だから、誰かの役に立って自分の存在を認めてもらわないといけない。そう思って、がむしゃらに働いてきた。
ずっと待っていたその言葉を聞いているのに、気持ちは沈んでいくばかり。
「それは私が聖女でサディアスがその護衛だった頃の話でしょ?」
そう、過去の話なのだ。
これからの私たちがずっと一緒に居るには身分が違い過ぎるし、決定的な理由を持っていない。
結局いつかは訪れる別れを、うやむやで引き延ばせば後になってもっと寂しくなってしまう。
それなのに――。
「意地を張るな。後で後悔するぞ」
まるで聞き分けのなっていない子どもに言い聞かせるような言葉を紡ぐサディアスに腹が立つ。
頭にカッと、血が上っていくのが自分でもよくわかった。
「サディアスはそろそろ私離れしたらどうなの?! 馬鹿! わからず屋! 意地悪! 女装癖!」
「おい、女装癖は違うと言ったからな?!」
サディアスの体が少しだけ離れた。その瞬間を見計らって手を振り払い、全速力で逃げる。
もつれそうになる足を動かして人ごみの中を抜けた。
「ティナ!」
背後からは私を呼ぶサディアスの声が聞こえてくるけれど、振り返ってやるものか。
代わりに見上げた空にはぶ厚い鈍色の雲が広がっていて。
今宵は荒れるだろうと、そう話す声が聞こえてきた。
そう心の中で叫んでも、答えてくれる人はいない。
目だけを動かして見上げれば、私を両腕の間に閉じ込めたサディアスの顔が間近に迫っている。
後ずさろうとしても背後には建物の壁があり、完全に逃げ道を塞がれてしまったのだ。
「ティナは、俺に早く消えて欲しいわけ?」
「そ、そんなことを言ってるわけじゃないから」
この状況はまるで、神殿に居た若いシスターたちがこっそり読ませてくれた恋愛小説の一場面のようで。
しかしサディアスは甘い表情をするどころか、金色の瞳の奥に轟々と燃える影を揺らめかせていて、雰囲気なんて欠片もない。
いつものように軽口を叩いたつもりだったのに、おかしなことになってしまった。数秒前の自分を呪いたくなってしまう。
「傷つくなぁ。俺はずっとティナを見守っていたいのに」
「ちょっかいをかけたいの間違いでは?」
「それもある」
「嘘おっしゃい。それが全てでしょ」
サディアスは咎めるような口調だけれど、その表情はどこか私の反応を楽しんでいるように見えるのは気のせいだろうか?
もしそうなら、かなりタチが悪いんだけれど。
「サディアスは護衛の仕事とか領主の仕事があるのに、こんなところで油を売ってていいの?」
「ははーん。ティナは俺が仕事をサボってここにいると思っているのか」
「事実でしょ」
「いいや。俺は今、一世一代の大勝負をしているんだよ」
「……はい?」
毎日私の後ろをついて来ては警備兵ごっこしているくせに、何が一世一代の大勝負だ。
領地で自分の代わりに仕事を片付けてくれている家臣たちに謝れ。
彼らに代わって怠け者の領主を睨みつけてやると、相手は唇の端を持ち上げて不敵に笑う。
何を企んでいるんだと身構えた時にはすでに遅く、額にサディアスの額がぶつかった。
もともとサディアスは距離が近かったし抱きついてくることだってしょっちゅうあったけど、オネエだと思っていたから意識することなんてなかった。
だけど、サディアスがオネエを装っているだけだったと知った今は、サディアスのよく手入れされた髪が頬をくすぐるだけで心臓の音が駆け足になってしまう。
「手強い相手だから着実に確実に落としたいんだけど、いかんせん邪魔者が多くて困っている」
「ふーん。せいぜい頑張ってね。言っておくけど、私は協力しないから」
嫌味のつもりで言ったのに、サディアスがくつくつと笑うものだから張り合いがない。
おまけにサディアスが笑うたびにサディアスの髪が揺れて頬をくすぐってくるせいで心が騒めく。
「な、何がおかしいの?」
「怒るなよ。わざわざ協力するかどうか考えてくれたティナが可愛かったんだ」
「馬鹿にするのもいい加減にして」
「心外だな。俺はこれまで一度もティナを馬鹿にしたことなんてないのに。いつもティナは俺にとっての唯一の崇高な存在だ」
まだまだ馬鹿にされているように思えて仕方がなく、どうにかぎゃふんと言わせたい私はとっておきの一言を捻り出そうとしていたのだけれど――。
こてんと首を傾げたサディアスがいっそう距離を詰めてくるものだから、思考を遮られてしまった。近い。近すぎる。
「俺がいつまでここにいるのかはティナ次第」
「は? え? 私?」
「そう。俺が王都に帰るときは、ティナも道連れだからな」
「なんで私がサディアスの事情に付き合わなきゃいけないのっ?!」
精一杯の力でサディアスの胸を押し返すも、腹立たしいことにびくともしなくて。
己の非力に打ちひしがれる私を、ふふんと得意げな顔で見つめ返してくるサディアスが恨めしい。
「ティナは花で俺はその茨だろ? 花をひとりにさせないから」
ひとりにさせない。そう誰かが言ってくれることを、どれだけ願ってきたことだろうか。
私はいつも恐れていた。
孤児院に居ればいつか、一定の年齢になったら出て行かなければならない。
教会に居ればいつか、聖女としての役割が果たせなくなると出て行かなければならない。
私には揺るぎない自分の居場所が無いのだ。
だから、誰かの役に立って自分の存在を認めてもらわないといけない。そう思って、がむしゃらに働いてきた。
ずっと待っていたその言葉を聞いているのに、気持ちは沈んでいくばかり。
「それは私が聖女でサディアスがその護衛だった頃の話でしょ?」
そう、過去の話なのだ。
これからの私たちがずっと一緒に居るには身分が違い過ぎるし、決定的な理由を持っていない。
結局いつかは訪れる別れを、うやむやで引き延ばせば後になってもっと寂しくなってしまう。
それなのに――。
「意地を張るな。後で後悔するぞ」
まるで聞き分けのなっていない子どもに言い聞かせるような言葉を紡ぐサディアスに腹が立つ。
頭にカッと、血が上っていくのが自分でもよくわかった。
「サディアスはそろそろ私離れしたらどうなの?! 馬鹿! わからず屋! 意地悪! 女装癖!」
「おい、女装癖は違うと言ったからな?!」
サディアスの体が少しだけ離れた。その瞬間を見計らって手を振り払い、全速力で逃げる。
もつれそうになる足を動かして人ごみの中を抜けた。
「ティナ!」
背後からは私を呼ぶサディアスの声が聞こえてくるけれど、振り返ってやるものか。
代わりに見上げた空にはぶ厚い鈍色の雲が広がっていて。
今宵は荒れるだろうと、そう話す声が聞こえてきた。