侯爵夫人の復讐

 義母がいなくなると、今度は義父がキルアに声をかけた。


「気にすることはない。妻も苛立っているのでね」
「……お義父(とう)さま」


 義父がキルアの腰に手を当てる。
 キルアは無言のままだ。
 義父はまるで甘えるような声でキルアの耳もとでささやいた。


「今夜こそ私の部屋に来ないか? どうせデリーに相手をしてもらえないのだろう? 私が可愛がってやろう」

 キルアは一瞬遠くを睨みつけ、それから義父に笑顔を向けた。


「お義父さま、私が叱られてしまいますわ」
「黙っていればいい。どうせ(アレ)は早くに就寝するんだ」
「私も早寝早起きを徹底しておりますから、申しわけございません」


 あまりにもあっさりと拒絶されたため、義父は不機嫌になった。
 彼はちっと舌打ちして、キルアを睨むように見る。


「あまり私に逆らわないほうがいいぞ。この家にいたければな!」


 そう言い捨てて立ち去っていく義父の背中を見つめて、キルアは口もとに笑みを浮かべた。



 キルアは自室に戻るとソファに腰を下ろし、ため息をついた。
 それほど時間も経たずに、部屋の扉がノックされた。


「奥さま、大丈夫ですか?」


 声をかけてきたのは執事のセドルだ。
 顔に火傷の痕があり、常に無口で無表情。
 他の使用人たちから怖がられている。
 しかし、キルアには気さくに声をかけてくる男だ。


「ええ、これくらい平気」
「冷やすものをお持ちしました」
「ありがとう」


 セドルは水の入ったタライと布を持っていた。
 それを受けとったキルアは絞った布で義母に叩かれた右頬を冷やす。
 そして、キルアは静かに訊ねた。


「しっかり仕事はしてきてくれた?」
「はい、もちろんです」
「そう、ありがとう」

 キルアはにっこりと笑った。


 この日、義母は使用人に命じてティータイムをしたあと、観劇を見に出かけた。
 しかしどうやら観劇中にお腹を壊したらしく、ほとんどの時間をトイレで過ごしたようだ。

 義父はそのあいだ愛人を屋敷に呼びよせてこっそり逢瀬をおこなっていたが、ベッドからカサカサと黒い虫が現れて愛人が逃げてしまったらしい。


 普段キルアに嫌がらせをしている使用人たちは、義父と義母に散々怒鳴られたようだ。

 セドルからこの話を聞いて、キルアはふっと控えめに笑った。
 それから彼に笑顔を向ける。


「あなたって本当に仕事が早いのね」
「お褒めいただき恐縮です」
「虫はどこで手に入れたの?」
「キッチンで簡単に捕まえることができます」
「ふふっ、楽しいわ」
「ご満足いただけて幸いでございます」


 セドルは静かに頭を下げる。
 キルアはセドルの淹れた茶を飲みながら静かに言った。


「目には目を。歯には歯を。クズにはクズを」



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