不幸な平凡メイドは、悪役令弟に溺愛される


「女王陛下――」

 わたしは驚いてしまった。

(ま、まさか、女王陛下にお声をかけられるなんて――でも、なんで魔術研究所に?)

 女王陛下ティエラ様は、生成り色の綿モスリンで出来た豪奢なドレスに、赤いカシミアショールを羽織っている。亜麻色の長い髪をしていて、愛らしい顔立ちに丸くて大きな黄金の瞳がきらきらと輝いている。

 そうして、彼女の背後から――。

「マリア~~!!!」

 ちょっと軽い調子の男性の声。
 聞き覚えのある、この声は――。

「お兄ちゃん!!」

 魔術研究所に現れたのは、ネロ・ヒュドールこと私のお兄ちゃんだった。
 青銅色の短髪に垂れたはしばみ色の瞳を持っていて、王国の騎士団の所属を意味する白いコートを着ている。

(騎士のお兄ちゃんが、どうして魔術研究所にいるの――?)

 わたしの両肩に、お兄ちゃんの大きな手が置かれた。
 そうして、わたしの目を見て話し始める。
 普段と違って、ちょっと真面目な表情をしていた。

「母さんに聞いたぞぉ。マリア、今、ピストリークス伯爵のところに住み込みで働いているんだって? 今日は、伯爵についてきたのか――? 目が合うだけで不幸になるとかなんとか、妙な噂が多い方だが、変なことはされていないか?」

「変なことはされてないかな……?」

「本当かぁ? 高い壺を割って弁償を迫られたり、脅されて愛人みたいな立場にされたり、呼び捨てで名前を呼べとか命じられたり、手を握られたり、肩を抱き寄せられたり、着替えをのぞかれたりしてないだろうな……!?」

「みゃっ!?」

(お兄ちゃん、わたしの行動を観察してた――!?)

 そう錯覚するぐらい、なんだか身に覚えのあることを言われて、わたしは返答できずにいた。
 おろおろしていると、女王陛下がお兄ちゃんに声をかける。

「大丈夫よ、ネロさん。ピストリークス伯爵は、お父様のことがあったせいで色々な噂を立てられてしまっているけれど、ご本人は寡黙で、魔術師としては優秀な方のようよ」

「そうですかぁ? それでも、兄としては心配なんですよねぇ」

「ネロさんが、心配する気持ちも分かります」

 女王陛下はにこにこしている。

(平民のお兄ちゃんに対しても、丁寧だわ……そういえば、女王陛下と言えば……)

「今日は、剣の守護者様はご一緒ではないのですか?」

 うっかりと無礼なことに、わたしは女王陛下に尋ねてしまった。
 わたしの憧れの人でもある剣の守護者様は、国の二大筆頭貴族公爵家のうちの一人で、国の神器に選ばれた王国最強の騎士様。太陽の名前を持っていて、燃える炎のように紅い髪に碧色の瞳を持った美青年……。まさかのわたしのお兄ちゃんの親友であり、そして――。

「あの人は、今日は別の仕事を任せているの。だから、代わりにネロさんについてきてもらっているわ」

(――女王陛下の恋人)

 本当は女王陛下には別に婚約者がいた。だけれど、城で竜との戦闘中に、その婚約者はいなくなってしまった。死んだという噂もあれば、どこかにいなくなったという噂も聞く。元々両想いだった女王陛下と剣の守護者様のために身をひいたのだとも――。

(憧れの人の恋人……もやもやしなくもないけれど……あれ……)

 剣の守護者様のことを思い出していたはずなのに、なぜか頭の中にテオドール様の顔が浮かんできた。

(な、なんで、テオドール様の顔が頭に浮かんでくるの!?)

 わたしが混乱していると、女王陛下が私に向かって微笑みながら話しかけてきた。

「マリアさん。良かったら今後、ゆっくりお城に遊びに来てお茶でも一緒に飲みましょう?」

「へ――!?」

 突然の女王陛下からの申し出に、わたしはびっくりしてしまった。

「お、お茶ですか――平民の私が――女王陛下と――!?」

 女王陛下は目を真ん丸にしながら、わたしに話を続ける。

「同年代の女性とお茶を飲むのに、平民だとか貴族だとか関係あるの――?」

 陛下はきょとんとした表情を浮かべていた。

「あ、あの――ぜひよろしくお願いします!!」

「良かった。すごく嬉しいわ。ありがとう」

 微笑む女王陛下と、どきどきしているわたしに向かって、お兄ちゃんが声をかけてきた。

「女王陛下、マリア、そろそろ魔術師長に会いに行かないと――」

「ネロさん、そうだったわね。じゃあ、行きましょう――またね、マリアさん」

 そうして二人は研究所の奥へと姿を消した。

 しばらくして、二階からテオドール様が姿を現した。
 彼の姿を見て、少しだけ嬉しくなってしまった自分がいる。

(見知らぬ場所で心細かったのかな――?)

 ちょっとドキドキしてきている自分のことを、わたしはそっと否定した。

「待たせたな――」

「いいえ」

「アリア、明日からまた城に来ないといけないのだが――ついてきてもらえるか?」

「そうなんですか――? はい、わかりました。そうだ、テオドール様――」


「――――それならば――――!!」


 甲高い声が、魔術研究所に響く。
 そこに、ひょっこりオルガノさんが姿を現した。

(今までどこにいたのかしら――?)

「それならお二人とも、明日からはより恋人らしくしないといけませんよ!! どう考えても、今日の二人はご主人様とメイドの域でとどまっていました!! 私が見ててあげますから、さあ特訓です!!!」

「ふえ~~!??? って、きゃああああああああっ」

 動揺するわたしは、何もないところで転んでしまった。
 こめかみを指でとんとん叩いていたテオドール様は、慌ててわたしの身体を抱き寄せる。

「大丈夫か? 何も落ちてはいないようだったが……」

(ふぎゃああああああっ……うっかり抱き着いてしまった――!!)

 わたしは頬が赤らんでいくのを感じる。

「それ! なんか、恋人っぽい!」

 オルガノさんが叫ぶ。

(こ、恋人っぽい……!?)

 わたしの胸のどきどきは、なかなか落ち着きそうになかった。

 そうして――。

 わいわい騒いでいるわたし達三人のことを、影からのぞいている人物がいることに、その頃のわたしは気づいていなかったのでした――。


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