不幸な平凡メイドは、悪役令弟に溺愛される


 テオドール様から、屋敷を追い出されて数日が経った。

 今日は休日――。

(数日間家でひきこもったから、また新しいアルバイトを探さなきゃ……)

 アルバイトを失ったことはもちろん辛い。

 だけど――。

 それ以上に、テオドール様に誤解されたこと、彼を傷つけてしまった可能性があることが辛くて仕方がなかった……。

(ちゃんと正直に、質問されていた時に、昔は剣の守護者様のことが好きだったって言えば、こんなことにはなっていなかったのかな……)

 悔やんでもどうしようもないが、どうにかならなかったものかと、頭の中でぐるぐるぐるぐる、ずーっと考えてしまう。

 自分の姿を鏡で覗いてみる。
 くすんだ金色の髪のほつれ具合が、いつも以上にすごい。
 垂れ気味のはしばみ色の瞳は、泣いたせいで赤く腫れあがっていた。

(ただでさえ可愛くないのに、もっとひどいことになってる――)

 ふさぎこんでいる、わたしの部屋の扉を、とんとんと叩く音がした。

(お母さんかしら――?)

 部屋から、廊下をのぞくと――。

――そこには、青銅色の短髪に、わたしとよく似た垂れ気味のはしばみ色の瞳をした大人の男の人――わたしのお兄ちゃんが立っていた。


「お兄ちゃん! どうしたの――?」

 最近のお兄ちゃんは、恋人の綺麗なお姉さんと一緒に休日を過ごすことが多かった。なのに、今日は珍しくわたしの元を訪れていたので、とっても驚いてしまった、

「お前がふさぎ込んでるって聞いたからさ――」

 お兄ちゃんは、わたしに気を遣った様子で話しかけてきた。

「誰から――?」

「知り合いから」

(知り合い? 一体全体、誰――?)

 少し疑問に思ったが、それ以上深くは追及しなかった。

「お兄ちゃん、心配してくれてありがとう。でも、わたしは、大丈夫だから……多分……」

 大丈夫だなんて言っておきながら、わたしの声には全然元気さが足りなかった。
 かえって心配をかけるような言い方になってしまったに違いない。

「アリアに元気になってもらおうと思って、今日はちょっと面白い人たちを連れてきたぞぉ」

 お兄ちゃんがそう言って、わたしの部屋の扉を開く。遠くに二つの人影が見える。

(面白い人たち――? もしかして――)

 そうして、わたしの目の前に現れたのは、想像通りの人たちだった。

「女王陛下に、剣の守護者様――」

 腰まで届く亜麻色の長い髪に黄金の瞳を持った女性と、燃えるような紅い髪に新緑のような碧の瞳を持った男性。
 高貴な身分の二人が、平民であるわたしの家にいるなんて、とてつもなく衝撃的な出来事だったんだけど……。
 あまりに落ち込んでいたわたしには、ちょっといつものように大声で驚いたりすることが出来なかった。

(きっと、一昔前のわたしだったら、剣の守護者様を見たら、喜んで飛んで跳ねたはず)

 だけど、今のわたしの心を支配しているのは――。

 つやつやした黒髪に、菫色の瞳、少しだけ低い声――。
 わりと何もしゃべらない人だし、時々怖い感じがするけれど、本当はとても優しい男性――。

(テオドール様……私は、やっぱり、テオドール様のこと……)

 わたしが何も喋らないでいたら、女王陛下がわたしたちに話しかけてきた。

「ちょっと、マリアさんと二人で話をさせてくれる? マリアさん、良いかしら――?」

 わたしはこくりと頷いた。そうしたら、お兄ちゃんと剣の守護者様の二人はわたしの部屋から出ていった。
 女王陛下と二人きりになったわたしは、少しだけ緊張してしまう。

「ねえ、マリアさんは、剣の守護者であるあの人に憧れていたの?」

「え――」

 ちょっと想像と違う質問に、わたしはどぎまぎしてしまう。

(『私の恋人を好きとかありえない!』とかなんとか、わたしは怒られちゃう?)

 緊張していると、これまた想像と違った返事があった。

「去年、あなたのお兄さんが彼に『俺の妹にしとけ』って話してたから、ちょっと覚えていたの。あなたが彼に憧れているとかそういうことは考えていなかったんだけれど、この前のあなたを見てた時に、もしかしてって思ったのよ」

(お兄ちゃん、なんてことを女王陛下に話していたの――)

 うふふと女王陛下は笑っていた。

「ねえ、だけど、マリアさん。剣の守護者である彼のことを考えるときと、テオドール伯爵のことを考えるとき、どっちもドキドキすると思うんだけど、そのドキドキなんだか違うと思わない?」

「あ――それは――」

 自分でも最近気づいていた。

「女王陛下はどうして分かるんですか……剣の守護者様に抱いていたドキドキと、テオドール様に私が抱いているドキドキが違うことが――」

 彼女はわたしに微笑んだ。

「同じ経験があるからよ。私にも剣の守護者である彼とは別に、ドキドキしていた人がいたわ。だけど、剣の守護者である彼への気持ちに気づいた時に、その気持ちは違うものだったんだって気づいたの――」

(女王陛下が恋人である剣の守護者様以外にどきどきしていた人って、もしかして失踪した元・婚約者様のことかしら――?)

「どう? マリアさん、テオドール伯爵のことを、あなたはどう思っているの?」

「わたし……わたしは……テオドール様のことが……」

 話しているうちに、わたしの視界がだんだんぼやけてきた。目の前にいる女王陛下の姿がにじんでくる。

「それは、ご主人様だから――?」

 彼女に問われ、わたしは首を横にぶんぶんと振った。

「主人だから、雇い主だからじゃなくて――」

「――そうでしょう? じゃあ、マリアさん、今から私と一緒にお城に行きましょう」

 女王陛下がにっこりと微笑んだ。

「へ――? 城、ですか――?」

「そう、城よ。私、面白いこと思いついちゃったの――」

 女王陛下はわたしに向かって、ふふふと笑っている。

 そうしてわたしは、お兄ちゃんと女王陛下と剣の守護者様に連れられて、お城に向かうことになったのでした――。


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