龍は千年、桜の花を待ちわびる

緑鬼の章

「あなたを探してたの! 一緒に行きましょう!」


そう言って桜琳が現れた瞬間、いいとこのお嬢さんが何言ってんだと、心の底から思った。

髪も肌も爪も何もかもが綺麗で、着ている物だって綺麗で。アタシとは、正反対だったから。


「アンタ、ここがどういう所か分かって言ってんのかい?」


ここは娼館。男の天国、女の地獄。

アタシはそこに小さい頃に放り込まれ、20になった今までここで客を取ってきた。それも、娼館の中で、最安値で。


「分かってるわ。」
「じゃあ身請け金を払ってくれんだろうね?」


そう言うと、桜琳は一瞬考える素振りを見せた。


「出せないなら帰んな。アタシを買うのは安くても、身請けすんのは最高値だよ。」
「…どうして? 矛盾していない?」


その通りだ。

アタシは笑って、吐き捨てるように言った。


「アタシが初めて月のものを迎えたのは12の頃だ。だけど、それは15になる頃には止まった。意味が分かるかい?」


そう言うと、桜琳は目を見開いた。


「…子を孕む心配が、ないってこと…?」
「察しがいいじゃないか。」
「そういうことね…。」


奇異の存在であるアタシを好き好んで買う客がいないんじゃ困ると、ここの女将はアタシに最安値をつけた。
けれど孕む心配がない娼婦を手放したくないがゆえに、身請け金には最高値をつけたのだ。


幸いこの北の街には、髪や目の色が他と異なろうと、金の価値だけの働きをすればいいという客ばかりで、アタシは生活に困ることはなかった。

胸元の忌々しい紋章も、アタシの色香を引き立てる役に立っているらしかった。


この北の街は貧しい。

男は鉱業。女は基本的に体を売って生計を立てていた。たまにそういうのを目当てとした金持ちが遊びに来るくらいだ。


「…分かったわ。」


桜琳は顔を上げると、真っ直ぐにアタシを見て言った。


「1ヶ月ちょうだい。」


そう言って、桜琳はアタシの部屋を出て行った。連れの男……皇憐が居るから、この街に滞在していても、あのお嬢さんは安全だろう。

それを羨ましく思いながら、その晩も客を取った。


それから数週間して、日中も娼館内が賑やかになるようになった。基本日中は皆寝ているはずなのに、何事かと部屋から出てみた。

アタシは他の娼婦にも嫌がられるので、普段はあまり部屋から出ないのだ。


すると、1番大きな座敷で桜琳が声を張り上げていた。


「そうそう、皆上手よ! 糸を変えたり、飾りを加えたり、自由自在よ! 女は体を売るんじゃなくて、これを売りましょう!」


何事かと皆の手元を見ると、皆の手元には色鮮やかな織物があった。


「あのお嬢さんにしてやられたね。」
「女将…。」


急に横から出てきた女将は、桜琳の姿を見て苦笑していた。


「全部の娼館を回って、ああして織物の指導をしてんだとさ。」
「は…?」
「女が生計を立てるのに、体を売るなんておかしい。幸い織物や布細工を特産としている街はないから、ってさ。」
「は…。」


座敷に居る皆の顔を見ると、それは楽しそうに笑っていた。


「糸は安い。男たちが取ってきた鉱物の売買のために、元々この街にはよく商人が来るしね。これでやっと、女も好きに生きられる…。」
「女将…。」


そして桜琳が宣言した1ヶ月後には、1つの娼館を残して、すべての娼館が閉館した。唯一残った娼館には、好きで残った奴らだけが集まった。


「アンタはどうするんだい。」


女将にそう訊ねられて、アタシは苦笑した。


「アタシの完敗だからね。あの子について行くよ。」
「そうか。」
「あ、アタシの身請け金…。」


他の皆は、自分で稼いだ金で、身請け金を借金たして返していくらしい。


「もらったよ。あのお嬢さんに、たんまりとね。」
「…なんてこった。」


あのお嬢さん……桜琳は、街ごと変えちまった。


「待ってたわ!」
「まさかアタシのためにここまでするなんてね。降参だよ。」
「ふふ。でも…あなただけじゃない。他の女性のためにもなってよかったわ。」


大きなことをしたというのに、何でもないというように笑うのでアタシは苦笑した。


「私、桜琳。あなた、名前は?」
「ないよ。皆は『(みどり)』って呼んでた。」
「じゃあ私が付けるわ! 木通(あけび)、なんてどう? 花言葉が、『才能、唯一の恋』なの。いつか、そんな恋に出逢えるように。」
「なんだっていいさね。」
「決まりね! 木通、行きましょ!」


そうして、アタシは桜琳とともに北の街を旅立った。


やがて東の街の守り神として祀り上げられるようになったアタシだが、そうなるまでに、元娼婦と聞きつけた金持ちや下衆がアタシの体目当てでやって来ることが多々あった。

アタシは皇憐からもらった水晶を使って、全員蔓で縛り上げて道に晒してやった。


誰にも、脚を開くことはなかった。


桜琳が存命だった頃…特に、北の街を旅立ってすぐの頃。アタシは散々桜琳に自分を大事にするようにと説教をされたのだ。5つも年下の、お嬢さんに。

アタシはそれを、ずっと守って来た。


そして桜琳がくれた名前の通り、アタシは唯一の恋を見つけた。そしてもうすぐ、『唯一の恋の先』をアタシは知ることになる。


「どうしたのだ? 木通。」
「水凪…。…いや、この子の顔を、結に見せたかったなって…思ってね…。」
「そうだな…。」


大きくなったお腹をさするアタシの手に、水凪の手が重なった。


あの日、北の街に来たのはただのお嬢さんじゃなかった。

アタシの、かけがえのない人だった。



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