龍は千年、桜の花を待ちわびる
赤鬼の章
俺の最初の記憶は、森の奥深くの山小屋の中だった。いつも仏頂面の爺さんと、2人。
特に名前を呼ばれたことはなかった。『おい』とか『お前』とか。
だけどそもそも『名前』という存在を知らなかった俺は、そこに違和感を感じたことはなかった。
「おい、薪割っとけ。俺は出てくる。」
そう言って、買い物には爺さんがいつも1人で行っていた。
自分の髪や目の色が爺さんと違うのは理解していたが、他の人間を見たことがなかった俺は、自分が奇異の存在であることにすら気付いていなかったんだ。
やがて、爺さんは天寿を全うした。俺が15の頃だった。
そして俺は初めて、自分が奇異の存在であると知ることになった。
必要な物があって、山を降りたときのことだ。俺を見る異様な目つき。囁かれる悪口。店主の態度。
ここは、俺の居る所ではない。
そう、理解した。
それっきり、街へ行くことはなかった。独り山小屋にこもり、自給自足の暮らしをした。
川が近くにあったので水の確保には困らなかったし、肉も魚も手に入る。爺さんが作っていた畑もある。
俺は一生をここで終えるのだと思っていた。しかしそんな俺を嘲笑うかのように、体の成長が止まった。
爪が伸びない。髪が伸びない。髭も伸びない。
伸びてもほんのわずか。
俺は絶望した。
そうして7年が経過した、ある秋の日のことだった。紅葉が綺麗なその日、天に龍が舞った。
そして、桜琳と出逢った。
「私たちと一緒に来て欲しいの!」
「は…?」
俺は呆気に取られた。
「ダメかしら…?」
「いや、…あ…。」
何年も人と会話していなかったものだから、上手く言葉が出てこなかった。もはや、自分の意思すらも分からなくなっていた。
「…ごめんなさい。急すぎたわね。」
困惑する俺に気付いて、桜琳は俺を安心させるように柔らかく微笑んで、ゆったりとした口調で話し掛けてくれた。
「今、国が大変な状態なの。あなたのような人の助けが必要なの。」
「お、俺…の…?」
そう訊ねると、桜琳は笑顔で頷いた。
よく見れば、髪も瞳も緑の女……木通も居た。彼女は“奇異の存在”を求めている。
そう気付いた俺は、恐る恐る同行を了承した。
「ありがとう! あなた、名は?」
「“名”…?」
「互いを呼び合うときに使うものよ。あなた、ずっと独りでここに…?」
「いや…、最初は…爺さんと、一緒に…。」
「その方は、あなたをなんて呼んでいたの?」
「…『おい』とか…『お前』とか…。」
「あら。じゃあ、私が名を付けてもいい?」
俺はこれまた恐る恐る了承した。
未知の世界に、興味がわいてきていた。それが後に桜琳が『俺の瞳の奥に見た炎』なのだろうと思う。
それからしばらくして、鬼と呼ばれるようになった頃。桜琳に、爺さんとの暮らしを聞かせる機会があった。
そうしたら、桜琳は笑って言った。
「焔はそのお爺様に、愛されていたのね。あなたが他の人間の見せ物にならないよう…。」
一緒に暮らしていた頃は理解できなかった。
けれど、生きていくうちに愛にもさまざまな形があるということを知った。
最初に『愛される』ことを。次に『愛する』ことを、桜琳は教えてくれた。
俺は桜琳を愛していた。けれどそれは、恋慕の愛ではない。家族に近い愛だった。
そして桜琳の死後、派遣された南の街で俺は『愛し合う』ということを知るのだった。
特に名前を呼ばれたことはなかった。『おい』とか『お前』とか。
だけどそもそも『名前』という存在を知らなかった俺は、そこに違和感を感じたことはなかった。
「おい、薪割っとけ。俺は出てくる。」
そう言って、買い物には爺さんがいつも1人で行っていた。
自分の髪や目の色が爺さんと違うのは理解していたが、他の人間を見たことがなかった俺は、自分が奇異の存在であることにすら気付いていなかったんだ。
やがて、爺さんは天寿を全うした。俺が15の頃だった。
そして俺は初めて、自分が奇異の存在であると知ることになった。
必要な物があって、山を降りたときのことだ。俺を見る異様な目つき。囁かれる悪口。店主の態度。
ここは、俺の居る所ではない。
そう、理解した。
それっきり、街へ行くことはなかった。独り山小屋にこもり、自給自足の暮らしをした。
川が近くにあったので水の確保には困らなかったし、肉も魚も手に入る。爺さんが作っていた畑もある。
俺は一生をここで終えるのだと思っていた。しかしそんな俺を嘲笑うかのように、体の成長が止まった。
爪が伸びない。髪が伸びない。髭も伸びない。
伸びてもほんのわずか。
俺は絶望した。
そうして7年が経過した、ある秋の日のことだった。紅葉が綺麗なその日、天に龍が舞った。
そして、桜琳と出逢った。
「私たちと一緒に来て欲しいの!」
「は…?」
俺は呆気に取られた。
「ダメかしら…?」
「いや、…あ…。」
何年も人と会話していなかったものだから、上手く言葉が出てこなかった。もはや、自分の意思すらも分からなくなっていた。
「…ごめんなさい。急すぎたわね。」
困惑する俺に気付いて、桜琳は俺を安心させるように柔らかく微笑んで、ゆったりとした口調で話し掛けてくれた。
「今、国が大変な状態なの。あなたのような人の助けが必要なの。」
「お、俺…の…?」
そう訊ねると、桜琳は笑顔で頷いた。
よく見れば、髪も瞳も緑の女……木通も居た。彼女は“奇異の存在”を求めている。
そう気付いた俺は、恐る恐る同行を了承した。
「ありがとう! あなた、名は?」
「“名”…?」
「互いを呼び合うときに使うものよ。あなた、ずっと独りでここに…?」
「いや…、最初は…爺さんと、一緒に…。」
「その方は、あなたをなんて呼んでいたの?」
「…『おい』とか…『お前』とか…。」
「あら。じゃあ、私が名を付けてもいい?」
俺はこれまた恐る恐る了承した。
未知の世界に、興味がわいてきていた。それが後に桜琳が『俺の瞳の奥に見た炎』なのだろうと思う。
それからしばらくして、鬼と呼ばれるようになった頃。桜琳に、爺さんとの暮らしを聞かせる機会があった。
そうしたら、桜琳は笑って言った。
「焔はそのお爺様に、愛されていたのね。あなたが他の人間の見せ物にならないよう…。」
一緒に暮らしていた頃は理解できなかった。
けれど、生きていくうちに愛にもさまざまな形があるということを知った。
最初に『愛される』ことを。次に『愛する』ことを、桜琳は教えてくれた。
俺は桜琳を愛していた。けれどそれは、恋慕の愛ではない。家族に近い愛だった。
そして桜琳の死後、派遣された南の街で俺は『愛し合う』ということを知るのだった。