龍は千年、桜の花を待ちわびる

第四章

目を覚ますと、目の前に皇憐の顔があった。

びっくりして飛び起きると、少し頭がクラクラした。昨晩急に前世の記憶を取り戻した反動だろうか。

皇憐を見やると、どうやら眠る私に添い寝したまま、本当に眠ってしまったようだ。


ふと目を開けた皇憐に笑顔で声を掛けた。


「おはよう、皇憐。」


すると皇憐は物凄い勢いで飛び起きた。


「桜琳…。…いや、結…?」
「『結』って呼んでくれると嬉しいな。『桜琳』はもう…過去の人だから…。」


そう微笑むと、皇憐は「そうだよな」と苦笑した。

やっと前世の記憶が戻った今、人格を混同させたくはない。『桜琳』としての人生はもう、終わったのだ。私は今、『結』として生きているのだから。


ただ、この桜和国にいる間だけは『桜琳』に少し手伝ってもらわなければならないだろう。


「よし、ちょっと着替えて金言の所に行って仲直りしてくる!」


そう言って立ち上がる私に、皇憐は優しく笑った。

服を着替えて外に出ると、また楽器の音色が聞こえた。金言が得意としている(しょう)の音色だ。


(この曲…。)


あの日、水凪が二胡で弾いてくれたものと同じ曲だ。私が昔…皇憐への叶わぬ恋を想って作った曲…。


(『桜恋歌』…。)


今なら水凪の家でこの曲を聴いた時、涙が零れた理由も分かるような気がする。記憶がなくとも、きっと何か響くものがあったんだろう。

音の聞こえてくる方へ向かうと、やはり昨日同様、金言は池の畔の松の木の上で笙を吹いていた。


「おはよう。」


そう声を掛けると、金言は一旦演奏を止めてチラリと私を見た。微笑みかけると、彼はそっぽを向いて演奏を再開した。

私は1つ深呼吸をすると、昔の記憶をなぞるように言葉を(つむ)いだ。


「『金のように価値の高い言葉』という意味の言葉なのだけど、あなたも皆にとってそんな人になれるように。」


そう言うと金言は演奏を止めて、今度は勢い良くこちらに振り向いた。


「金言。立派になったわね。」


金言の家も水凪同様、正面は社のような造りになっており、供物や賽銭箱が置かれていた。

それだけで十分分かる。


「皆にとって、価値の高い人……必要とされる人になったのね。」


そう、笑いかけた。

金言は松の木から飛び降りてきたかと思うと、いつかのように私に飛びついて来た。


「ごめんね、忘れてて…。やっと、思い出せたの。」


いつかのように金言の髪を撫でてそう言うと、肩の辺りから鼻を啜る音が聞こえた。

そっと顔を覗き込むと、金言の顔は涙と鼻水でグチャグチャだった。手拭いで拭ってやるも追いつかない。


「桜琳っ…、何で忘れてんだよっ…! 俺に名前を付けてくれたのは、桜琳だったのにっ…。」


ギュッと抱き締めると、金言の体は震えていた。


「ごめんね…。」


秀明が言っていた。

私は霊力を持たないから、桜琳としての記憶を引き継げないだろう、と。そして実際、引き継げたのは朧げな記憶だけだった。

仕方がない。きっと金言も理解しているはずだ。けれど、わずか5歳だった彼を見つけ出し、名を与えたのは私……桜琳だったというのに。


「本当はっ、ちゃんと分かってんだ。秀明が言ってたことも、理解してんだっ…。」
「うん。」
「でもっ…、見た目が瓜二つなのに、記憶がなくて、俺のこと覚えてないなんてっ、受け入れられなくて…っ。」
「うん。」
「昨日はごめん…。」
「私こそ、ごめんね…。」


それから、顔を見合わせて笑い合った。

昔のように手を繋いで戻って来た私たちを見て、皇憐は呆れたように笑った。
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