バラ色の十年
「そうなんだ。趣味とかも百合姉と合う感じなの」
「えー、それがさ、そうでもないんだよね。本とか映画とかは趣味違っててもいいけど。音楽が趣味違うからなー。ちょっと残念っていうか。悟、古いロックが好きで、時間があると、古いレコードが置いてある店に行くんだよ。悟はそこに行くと幸せそうだけど、私はさっぱりわかんない」
 ほほう。有力な情報を得ることができた。灯台下暗し。さっさと百合姉に訊けばよかったのか。 
 いやでも、やはり私の恋心を知られるわけにはいかない。あまり訊きすぎてもだめなのだ。
 もう一口、麦茶を飲んだ百合姉は言った。
「どうしたの、鈴。好きな人でもできた。最近、きれいじゃん」
 私は、ぶんぶんと頭を振った。
「最近仲良くなったクラスの子が、化粧とか上手で。その影響」
 咄嗟に嘘をついた。スカスカの張りぼてのような嘘。バレないだろうか。
「あー、そうね、鈴くらいの時ってどういう友達とつるむかって大事だよね。いいじゃん。友達と一緒に綺麗になっちゃいなよ」
 屈託なく、百合姉は笑う。百合姉のこういう鷹揚なところが私は好きだ。私は、マンガの人みたいに、百合姉に嫉妬するような黒い感情は持っていなかった。幼くて二人のつきあいをイメージできなかったのか。いや、悟さんと私をつなぐものは、百合姉しかなかったので、おつきあいが切れるようなことがありませんように、とそっちの方が大事だった。
 そして、何とかまた悟さんに会えないだろうか。そればかりを考えていた。
 
 翌日。私は放課後、駅ビルのトイレで、化粧をして、それから街に一軒しかない中古レコード屋さんに行った。月曜日に行って、火曜も水曜も木曜も行った。行けばいいってもんじゃないのね。とため息をつく。それに相手は大学生だ。高校生の私とはタイムスケジュールが違う。午前中とかに来てるのかもしれない。
 ふ、とため息をつきながら金曜日の夕方、私は、レコード店でレコードを漁った。
 長いバンド名のグループがいて、なんて読むんだろう、と眺めていたら後ろから声をかけられた。
「ミッシェル・ガン・エレファント。すげー恰好いいよ。おすすめだよ」
 ハッとして振り返ると、そこに、悟さんがいた。
 私は突然のことに慌てて口をぱくぱくしていた。ばったり会ったらこう言おうと決めていたセリフが全部飛んだ。なんて言おう。なんてなんて。
「鈴ちゃん、この間会ったときより綺麗みたいだな。百合に化粧、教わったの」
 ぼぼぼぼぼ、と顔が赤くなった。
「と、友達の影響で」
「へえ。元がいいからだろうね。化粧映え、するね」
 嬉しい言葉だった。化粧を頑張った甲斐があった。ずっとずっと悟さんのことを考えて、やっと会えた。うれしくてしょうがないはずなのに、私は悟さんの前から消えたかった。自分の存在に自信がなくて、悟さんに見られると溶けてなくなってしまいたくなる。アメーバみたいな液体になってそっと悟さんにはりつき、悟さんと行動を共にしてみたかった。
 化粧なんてまだ序の口。まだ私は自分に百点を出せてない。悟さんにふさわしくない。だから、もうちょっと待ってて。
 そんな支離滅裂なことを考えていた。何か言わないと不審がられる。何とか口を開けようとする。
「鈴ちゃん塾とか行ってるんだっけ。この後、なんかある?」
「いえ。なにも」
 声が、かすれた。
「じゃ、ちょっとつきあってよ」
 はい、と頷いて、一緒にレコード店を出る。

 悟さんの後ろからついて行く。悟さんの、小さな後ろ頭や、首筋、肩のライン、そんなものが輝いて見える。私はすべてを目に焼き付けようと凝視した。
 この背中に顔をうずめてみたい。できっこない妄想が、ちりちりと、胸を焦がす。
 悟さんは、どんどん路地深く入って行った。
「ここ、ここ。いつもすいてて穴場なんだよねー」
 悟さんが連れて行ってくれた店は、駄菓子屋さんだった。小さなお店で、六人も入れば一杯になりそうだった。
「鈴ちゃん、何でも好きなもん食べな。おごってあげる。駄菓子でわるいけど」
「い、いいんですか」
 悟さんはニコニコしている。駄菓子なら、そんなに悟さんの負担にもならないかな。私はありがとうございます、と言って駄菓子を物色し始めた。悟さんはそんなに?というくらいうまい棒を買って、私はチョコのお菓子とか飴を買ってもらった。
「これを川べりで食べるのが好きなんだ。いい?」
 私は、こくんと頷いた。悟さんと駄菓子屋を出て、裏の川べりに向かった。小さなベンチがあって、そこに並んで座る。私のドキドキは会ったばかりの時よりはいくらかおさまっていたけれど、それでもやはりそわそわしていた。
 悟さんは座るなり、ばりばりとうまい棒を食べ始めた。私もチョコをかじった。
「はは。美味い。俺、ばかみたいでしょ。でも子供のときから変わらず好きなんだよなあ」
 私は、無言で首を振る。悟さんの好きな食べ物なら、フレンチのフルコースより全然いい。私も今度真似してうまい棒食べてみよう。
「で、鈴ちゃんは、どうしてレコード見てたの。おうちにアナログプレーヤーないでしょ」
 ぎくっとした。その質問は想定外だった。そうだ。レコードを聴くための機械がいるんだ。思いつきもしなかった。なんとか言葉をひねり出した。
「好きなミュージシャンがレコードが好きで。触ってみたくなって」
「わかる!」
「え」
「わかるよー。俺も、レコード買ってるの、ミュージシャンの影響でさ。たまたま父親がステレオ持ってて、聴けたからさ。なんか、CDと違って味がある気がするんだよね」
 それから、悟さんは、好きな音楽、主にロックについて熱く語り始めた。想像してたよりも悟さんは、とっても雄弁で、しゃべってもしゃべっても足りないみたいだった。
 私は、それを素晴らしい音色の音楽みたいにうっとりと聞きほれた。
 途中で、悟さんは、はっとした。
「ごめん。うざかったよね。つい語っちゃったな」
 ううん、と私は首を振った。悟さんの語りなら高尚なお坊さんの説法よりも聴きごたえがあります。そう言いたかったけど、私は無難な答えを選んだ。
「百合姉と、音楽の話、しないんですか?」
「うん。趣味が全然違うからなー。言っても響かないんだよ。だから自然と音楽の話は避けてる」
「そうなんだ」
 私にできて、百合姉にできないことがある。私はこっそり得意になった。
「鈴ちゃんは、聞き上手だね。それに勉強も頑張ってるんだよな。百合からよく聞いてるよ。なんだか急に頑張り屋さんになったって」
「大したこと、ないです」
 違います。本当は、あなたに褒められたくて。百合姉にできなさそうで頑張れることを探したんです。とりあえず勉強くらいしかないなって。あなたに頭いいって言われたし。あなたのためなんです。あなたのためなんです。
 私は、きゅっと唇を結んだ。そうしないと想いがこぼれてしまいそうで。
「鈴ちゃんと、また音楽の話、したいな」
 にこっと笑って悟さんは言った。胸の奥がきゅうっとなった。泣きだしたくなるような気持ちのたかぶり。
「これ、聴いてみます」
 ノートに走り書きした、悟さんのおすすめのレコード、6枚。なんとか探し出して、めいっぱい、聴こう。軽く頷いて、悟さんはいたずらっぽい笑みを浮かべた。
「今日のことはさ、百合には内緒、な」
 ごくり、と息をのんだ。秘密秘密秘密。なんて甘い響きだろう。私と悟さんが秘密を共有した。思ってもみなかったご褒美だった。
 その日は駅前で解散した。抱きしめたくなるような一日だった。

 それから。二ヵ月に一度くらいの割合で、悟さんはうちに遊びに来た。リビングで過ごすことも多く、自然と私と話す機会があった。百合姉も母もいなくて、二人だけになると、悟さんは
「聴いてる?」
 と訊いてきた。私は思い切りよく頷いて、悟さんとロックの話をした。この時間のために、私は古いレコードを聴くようになっていた。週一でファミレスのバイトをして、レコードプレーヤーもネットオークションで買った。レコードも音楽の本もネットで漁って買った。いろいろ聴くうちに好きになっていった音楽の方向性が悟さんと一緒なのも助かった。
「鈴ちゃん、センスあるじゃん」
 そう言われて小躍りしそうになった。手に力を入れて食い止めたけど。
 そんな日々があって一年すぎて。私は、高校2年生の夏を迎えた。恋の進展が、順調だったのは、百合姉と悟さんだけではなかった。
 同クラの岬から、よく恋バナを聞かされた。隣の男子校の同級生と、岬はつきあっていた。高2の夏、というのは、いわゆるおさかんな時期だった。来年の夏には受験でそれどころではなくなる。岬は、夏休みに、彼氏と一泊旅行をする予定だった。
 岬の親へのアリバイ工作に私は使われた。別にそんなことは全然いいけれども、岬が思いつめた顔をして言った。
「やっぱり初めてだから、下着選びは慎重にしようと思う」
 なるほど、と思った。私は、もう頭の中で、悟さんといちゃつき放題だった。しかし、下着までは気がまわらなかった。私は妄想でしか、キスもセックスもできないわけだけど、岬は実際にするのだ。いいな。
 百合姉と悟さんがしているところを想像するのは、慎重に避けていた。そこにたどり着くと、自分の動物のような生々しい感情に振り回される。
 でも、岬の恋バナは、無防備に聞いていたので、つい自分の欲望が顔を出してしまった。
 ただ、厳密に言うと、私の欲望はそこに極まっていなかった。
 それよりも濃厚に望んでいたのは、妄想の答え合わせ、だった。
 私は、頭の中で何度も悟さんに犯されたし、私も何度も悟さんを犯した。
< 3 / 7 >

この作品をシェア

pagetop