だって、しょうがない
 頬を押さえ、顔を上げた愛理の瞳には、困惑した表情の淳が映った。
 
「叩くつもりじゃなかったんだ。愛理が……。他の(ひと)でいいなんて、言うから……」

 愛理を叩いた自分の右手を見つめ、淳は独り言のようにつぶやく。
 これ以上何かを言っても火に油を注ぐことになり兼ねない。そう思っていても愛理は気持ちが抑えきれず、心に溜まっていた言葉が口をつく。
 
「私が悪いの? 私は、ずっと頑張ったんだよ。疲れて帰っても温かいご飯作って。休みの日だって、洗濯したり、掃除したりして、家で気持ち良く過ごせるようにやってきたんだよ。淳は私のために何をしてくれたの?」
 
 グッと手を握り込み、淳へ思いの丈を吐き出す。

「なにもしてくれなかったじゃない。そればかりか、話し掛けてもめんどくさそうにして、日常の会話さえまともにしていない。私はたくさん話をして、信頼し合える家庭が欲しいの。淳を信じられない。もう、無理なの」

 切れた口の中は血がして酷く苦い。涙がジワリと浮かび、淳の姿がぼやけて見える。愛理は口を引き結び、涙をこらえた。
愛理から言葉を投げつけられた淳は、こみ上げる怒りを抑えるように、低い声で言う。

「俺から離れて行くなんて、ゆるさない。俺はお前のために実家にだって仕事を回して、いろいろしてやっているじゃないか」

 実家のことを引き合いに出されて、言葉を詰まらせる愛理に、淳は大きく息を吐き出し、宥めるように話しかける。

「俺が悪かったよ。これからは、もっと家事も協力するし、話しもする。それでいいんだろう?」

 


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