だって、しょうがない
 その音で、慌てて振り返った淳の目に、鬼の形相の母親が映る。

「淳、お前はいくつになっても子供みたいな事を言って、愛理さんに聞かれたらどうするの」

 怒りのせいか、母親の手にしたトレーの上の器がカチャカチャと音を鳴らしている。その音が酷く耳触りに響く。

「いや、ほら、本気じゃないし……」
 降参をするみたいに手のひらを見せた淳が口ごもると、そんな反省の色が見えない態度に腹を立てた母親が声を上げた。

「嘘でも何でも、言っていい事と悪い事の区別もつかないなんて、いい大人がまったく情けない。しっかりしたお嫁さんが来てくれたんだから大事にして、早く孫の顔を見せてちょうだい」

「母さんの声の方が大きいから」

「まったくお前って子は、ああ言えばこう言うんだから、こんなんじゃ、お父さんの会社を任せるのはまだまだ先になりそうだわ」

 母親の淳への小言が長くなりそうな気配に、翔はスッと立ち上がりリビングから抜け出した。
 台所を覗いた翔の目に、愛理が今にも泣き出しそうな顔で洗い物をしているのが見えた。翔は自分が入って来たのを知らせるように壁をコンコンとノックする。

「ごめん……。聞こえちゃったよね。みんな無神経でごめん」

 愛理は、首を横に振り泣き笑いのような顔を翔に向ける。そして、その場の雰囲気を取り繕うように話し出した。

「ううん。翔君のお母さん大好きだよ。実家の母は、いつも父の味方をして、私のためにああやって怒ってくれるなんてしなかったから……。お母さん、温かいよね」

 必死にさっきの騒動を良いように言い換える愛理の姿が、翔の目には酷く痛々しく映る。

「いや、兄キも無神経だし」

「それは……」
 と、口を開きかけたところで、心の中に溜まった物が溢れ出すように愛理の瞳がゆらゆらと揺れる。愛理は、今にもこぼれそうな涙を隠すように翔から背を向けた。

「愛理さん……」
 翔は小さく呟き、細い背中へ、そっと、手をの伸ばした。

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