消えない感触
全てが橙色。たぶん私の頬も彼の頬も。
あの日と同じ。綺麗すぎて切なくなる夕焼け。
視線を感じて隣を歩く彼を見る。その瞬間、二つ伸びていた影が合わさって一つになった。どれくらいそうしていただろう。私の小さなくしゃみで、彼は私を抱く手を離した。夕日は沈んで二人の影は闇に溶けた。
***
10年ぶりの同窓会の案内の葉書をポストに見つけたとき、私は行く気はなくて、それをゴミ箱に捨てた。何の気なしに主人に話すと、
「せっかくだから行ってこいよ」
と言われた。私は少し考えて、ゴミ箱から葉書を取り出して場所と時間を確認した。
高校生の私がいた街。ここからだと飛行機に乗って1時間半、それからバスで30分もかかるところ。ホテルで昼の立食会。早めに家を出なければ。何を着ていこう。
私はハンガーにかかった服を手に、高校時代を思い出していた。今でもLINEのやりとりをする友人たち。彼女たちも来るかきいてみよう。
そして。当時付き合っていた彼。会いたいような会いたくないような。
鏡を見ると、あの頃より少し痩せて、大人びた私の戸惑う顔が映っていた。
***
懐かしい顔にたくさん会えて、昼間からワインまで飲んで楽しい時間を過ごし、来て良かったと私は思っていた。ただ、私のやや後ろに彼、佐々木君の気配は感じていて、でも、振り返って声をかけられずにいる自分は臆病だと思った。
大好きだった佐々木君。二年生の夏から付き合いだした佐々木君とは、目指す大学が違って離れ離れになることが決まっていた。それでも私は遠距離恋愛だって頑張れる、そう思っていた。佐々木君に呼び出されて歩いた夕暮れの道。空は遠くまで橙色に輝いていた。二人の影が長く伸びて。私は歩きながら、佐々木君の言葉を待った。佐々木君は……。
***
宴もたけなわだが、一次会はそろそろ終わろうということになった。
「二次会に行く? どうする?」
友人たちと話していると、肩をたたかれた。振り返ると佐々木君が立っていた。私は驚いて彼を見た。佐々木君はあの頃と変わらない笑顔を浮かべていた。
「佐々木君……」
「早夕里。ちょっと時間ある?」
「え? うん、時間はあるけど……」
どきどきと早鐘を打つ心臓。飛行機は念のため19時台を取っていた。
「じゃあさ、少し付き合ってよ」
私は友人たちの顔を見た。
「行ってきなよ。積もる話もあるでしょう」
彼女たちに背中を押されて、私は佐々木君と会場だったホテルを出て、高校近くの喫茶店に行くことになった。
校舎が見えてくると、私は懐かしさでいっぱいになった。
「行事が盛んな学校だったよな」
佐々木君が目を細めて言った。
「そうだね。特に体育祭。応援パネルとか街でも評判だったよね」
喫茶店もあの頃のまま変わっていなかった。マスターがやや老けたぐらいで。
「よく来たよね、ここ」
「うん。シフォンケーキが美味しくて、紅茶と一緒にいつも頼んでた」
私たちはしばらく無言で思い出を味わうように紅茶を飲んだ。あの頃の私は佐々木君との別れが来るなんて考えてもいなかった。
「早夕里は今どうしてるんだ?」
佐々木君の言葉をきっかけに、お互いの近況を私たちは話した。佐々木君は大学を卒業した後銀行に就職して、そこで出会った女性と結婚したという。私も職場結婚だ。
「今でもよく高校のことは思い出すんだ。強制でなく、ただ一途に色んなことに取り組めた時期だった」
「そうだね」
「……あんな別れ方をしたから、早夕里のことずっと気になっていた」
佐々木君の言葉に私は淡く微笑んだ。
「しばらく引きずってたけど、人間って不思議だよね。辛いことは忘れてしまうんだから」
「……ごめん」
「今更いいよ。それより……」
私たちは会えなかった時間を埋めるように多くのことを話した。喫茶店を出る頃には太陽が西に傾いていた。
「駅まで歩こうか」
「うん」
私たちは高校生のとき一緒に帰っていた道をゆっくり歩いた。夕陽が目に痛い。こうしているとまるであの頃に戻ったような不思議な感覚。佐々木君と別れなかったら、私たちはどうなっていたのかな。結婚するという未来もあったのだろうか。
駅に近づいた時だった。
私は佐々木君の視線を感じて隣を見上げた。
***
「陽、沈んじゃったな。寒いか?」
「少し」
寒いのに、抱きしめられた身体だけは熱かった。
「……俺、あの日、こうすれば良かった。ただ抱きしめて、遠距離頑張ろうって言えば良かった」
佐々木君の声は後悔に満ちていた。
佐々木君はあの日、「遠距離恋愛、俺、自信ない。別れよう」と私に言った。お互い気持ちはあったままだったと思う。でも佐々木君は別れを選んだのだ。
「早夕里……」
私を呼ぶ佐々木君の目を見て、このままでは良くないと私は思った。
「佐々木君、私、帰らなきゃ」
逃げるように言った私を佐々木君がもう一度抱きしめた。
「離して」
「また会いたい」
「ずるいよ、佐々木君。こんなのダメだよ」
私は佐々木君の手を振り解いて、一人駅に入った。
今更だよ。もう、私たちはお互い違う人と結婚してるのに。
そう思うのに、なんでこんなに佐々木君の感触が消えないんだろう。私は飛行機に乗っても、佐々木君が抱きしめたときの力強い腕、昔と同じ彼の匂いが消えなくて泣きそうになった。忘れなきゃいけない。私は主人を裏切れない。
私の目から涙が一筋落ちた。
了
あの日と同じ。綺麗すぎて切なくなる夕焼け。
視線を感じて隣を歩く彼を見る。その瞬間、二つ伸びていた影が合わさって一つになった。どれくらいそうしていただろう。私の小さなくしゃみで、彼は私を抱く手を離した。夕日は沈んで二人の影は闇に溶けた。
***
10年ぶりの同窓会の案内の葉書をポストに見つけたとき、私は行く気はなくて、それをゴミ箱に捨てた。何の気なしに主人に話すと、
「せっかくだから行ってこいよ」
と言われた。私は少し考えて、ゴミ箱から葉書を取り出して場所と時間を確認した。
高校生の私がいた街。ここからだと飛行機に乗って1時間半、それからバスで30分もかかるところ。ホテルで昼の立食会。早めに家を出なければ。何を着ていこう。
私はハンガーにかかった服を手に、高校時代を思い出していた。今でもLINEのやりとりをする友人たち。彼女たちも来るかきいてみよう。
そして。当時付き合っていた彼。会いたいような会いたくないような。
鏡を見ると、あの頃より少し痩せて、大人びた私の戸惑う顔が映っていた。
***
懐かしい顔にたくさん会えて、昼間からワインまで飲んで楽しい時間を過ごし、来て良かったと私は思っていた。ただ、私のやや後ろに彼、佐々木君の気配は感じていて、でも、振り返って声をかけられずにいる自分は臆病だと思った。
大好きだった佐々木君。二年生の夏から付き合いだした佐々木君とは、目指す大学が違って離れ離れになることが決まっていた。それでも私は遠距離恋愛だって頑張れる、そう思っていた。佐々木君に呼び出されて歩いた夕暮れの道。空は遠くまで橙色に輝いていた。二人の影が長く伸びて。私は歩きながら、佐々木君の言葉を待った。佐々木君は……。
***
宴もたけなわだが、一次会はそろそろ終わろうということになった。
「二次会に行く? どうする?」
友人たちと話していると、肩をたたかれた。振り返ると佐々木君が立っていた。私は驚いて彼を見た。佐々木君はあの頃と変わらない笑顔を浮かべていた。
「佐々木君……」
「早夕里。ちょっと時間ある?」
「え? うん、時間はあるけど……」
どきどきと早鐘を打つ心臓。飛行機は念のため19時台を取っていた。
「じゃあさ、少し付き合ってよ」
私は友人たちの顔を見た。
「行ってきなよ。積もる話もあるでしょう」
彼女たちに背中を押されて、私は佐々木君と会場だったホテルを出て、高校近くの喫茶店に行くことになった。
校舎が見えてくると、私は懐かしさでいっぱいになった。
「行事が盛んな学校だったよな」
佐々木君が目を細めて言った。
「そうだね。特に体育祭。応援パネルとか街でも評判だったよね」
喫茶店もあの頃のまま変わっていなかった。マスターがやや老けたぐらいで。
「よく来たよね、ここ」
「うん。シフォンケーキが美味しくて、紅茶と一緒にいつも頼んでた」
私たちはしばらく無言で思い出を味わうように紅茶を飲んだ。あの頃の私は佐々木君との別れが来るなんて考えてもいなかった。
「早夕里は今どうしてるんだ?」
佐々木君の言葉をきっかけに、お互いの近況を私たちは話した。佐々木君は大学を卒業した後銀行に就職して、そこで出会った女性と結婚したという。私も職場結婚だ。
「今でもよく高校のことは思い出すんだ。強制でなく、ただ一途に色んなことに取り組めた時期だった」
「そうだね」
「……あんな別れ方をしたから、早夕里のことずっと気になっていた」
佐々木君の言葉に私は淡く微笑んだ。
「しばらく引きずってたけど、人間って不思議だよね。辛いことは忘れてしまうんだから」
「……ごめん」
「今更いいよ。それより……」
私たちは会えなかった時間を埋めるように多くのことを話した。喫茶店を出る頃には太陽が西に傾いていた。
「駅まで歩こうか」
「うん」
私たちは高校生のとき一緒に帰っていた道をゆっくり歩いた。夕陽が目に痛い。こうしているとまるであの頃に戻ったような不思議な感覚。佐々木君と別れなかったら、私たちはどうなっていたのかな。結婚するという未来もあったのだろうか。
駅に近づいた時だった。
私は佐々木君の視線を感じて隣を見上げた。
***
「陽、沈んじゃったな。寒いか?」
「少し」
寒いのに、抱きしめられた身体だけは熱かった。
「……俺、あの日、こうすれば良かった。ただ抱きしめて、遠距離頑張ろうって言えば良かった」
佐々木君の声は後悔に満ちていた。
佐々木君はあの日、「遠距離恋愛、俺、自信ない。別れよう」と私に言った。お互い気持ちはあったままだったと思う。でも佐々木君は別れを選んだのだ。
「早夕里……」
私を呼ぶ佐々木君の目を見て、このままでは良くないと私は思った。
「佐々木君、私、帰らなきゃ」
逃げるように言った私を佐々木君がもう一度抱きしめた。
「離して」
「また会いたい」
「ずるいよ、佐々木君。こんなのダメだよ」
私は佐々木君の手を振り解いて、一人駅に入った。
今更だよ。もう、私たちはお互い違う人と結婚してるのに。
そう思うのに、なんでこんなに佐々木君の感触が消えないんだろう。私は飛行機に乗っても、佐々木君が抱きしめたときの力強い腕、昔と同じ彼の匂いが消えなくて泣きそうになった。忘れなきゃいけない。私は主人を裏切れない。
私の目から涙が一筋落ちた。
了