理想の女ではないから婚約破棄したいと言っていたのは貴方の方でしたよね?

11.口紅の色

「……エリオット、エリオット!」

「うわっ……!」

 耳障りな音とともに、紅茶のカップが転がり落ちた。テーブルの上に、大きな染みが広がっていく。

「大丈夫? 火傷してないかしら? 」

 ティナは心配そうにエリオットの顔を覗き込んだ。ハンカチで丁寧に拭いてくれるのを手で制す。

「大丈夫だ。ついぼーっとしていた」

「何か心配事でも?」

 こういうとき女性は鋭い。ティナは真っ直ぐにエリオットの瞳を見つめている。

「……別に」

「奥さん、どこへ出掛けたのかしらね」

 やはり分かっていたのだ。冷たい笑みを浮かべたままクッキーを一口齧る。嫌でも分かってしまう、彼女は今とても機嫌が悪い。

「さあ、どこでもいいさ」

 本心では気になって仕方がないが、必死で関心がない振りを装う。だが、それもきっと見透かされているのだろう。

「素敵なドレスだったわ。さすがレーヴ国出身ね、品がある」

「そうだったか、地味ではないか?」

 すーっと、ティナの視線が細くなる。彼女の手前で貶したと言うのに、何か気に障ることを言ったらしい。

「貴方はあれを地味というの? 領主の妻として、落ち着いた服を選んでいるのよ。それでいて、いちいちデザインが凝っているから鼻につく……」

「奥さん、素敵な色の口紅をしていたわね。同じものが欲しい」

「……口紅の色までなんて見ていない」

 毒々しい葡萄の色、いつもは少女のような薄桃色の口紅を差しているのに。

「あれはきっと他国で流行っているものよ、少し噂で聞いたことがあるの。今度のお土産は、」

「うるさい」
 
 思わず口をついて出た言葉に、エリオット自身も驚いていた。ティナは咄嗟のことに頭が追いついていないらしく、ただ呆然と立ち尽くしている。

「少し疲れているんだ。一人にしてくれ」

 そう言って、エリオットは足早に部屋を出て行ってしまった。扉の閉まる音が虚しく響く。

 静かな部屋で一人きり。こうなる日が来ることに怯えていた。いつかは愛人なんて見向きもしなくなる。

ーーいえ、まだ終わりじゃない。

 ティナは大きく息を吸うと、ありったけの大きな声を出した。

「誰かー!」

 部屋の外で待機していた使用人が驚いて駆け付ける。

「どうされました? 」

 丁度いい、彼は使用人の中でも立場が上だ。話が早く済む。

「外商を呼んで頂戴。新しいドレス、靴、宝石、口紅……とにかく何もかも新しいものにしたいの」

「しかし、ティナ様……」

 困ったような表情で視線を彷徨わせている。

「エリオットの許しは貰っているわ、当然でしょう」
< 11 / 17 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop