他人に流されやすい婚約者にはもううんざり! 私らしく幸せを見つけます
1.婚約、とは
ああ、またはじまったわ……。
クロエ・マリンは気付かれないように小さく溜息を吐いた。
「だからさ、クロエ。結婚しよう」
熱っぽく見つめる彼は、クロエの恋人であるウェス・ジェームズだ。彼との交際期間はもうすぐ八年になる。
この台詞を聞いたのが初めてだったら、すぐに舞い上がっていたことだろう。それからすぐに"喜んで"と返事をしたと思う。
「ええ、そうね」
曖昧に笑うクロエに、ウェスは不満そうな表情を浮かべている。
「エイダンの奴、すごく幸せそうだったよ。奥さんと二人でこのまま田舎に引っ越すんだってさ。いいよな、自給自足で暮らしていくのも」
先月は田舎暮らしなんてまっぴら、華やかな町で暮らしたい、だなんて言っていたくせに。
エイダン・フォードはウェスの幼馴染だ。実家が田舎の方だという奥さんの為に、町を出て彼女の家業を手伝うとのことだった。エイダンは男爵家の五男で、特に周囲の反対もなく、すんなりと決まったことだったらしい。
ウェスによると、美人で料理上手な奥さんだという話だ。
さぞ惚気話をたくさん聞いてきたに違いない。クロエは他人の惚気話を聞くことが好きなので、本当はもっと話を聞いてみたいという気持ちがあった。だが、これから先に待ち受けることを思うと、話をすぐに切り上げた方が良さそうだ。クロエはそう判断した。
「本当、幸せそうね。おめでとう」
誤魔化すようにウェスの頬を両手で包んでキスをする。ウェスはその手をしっかりと掴んで離さない。真っ直ぐに目を見て、拗ねるように問い掛ける。
「クロエ、君は俺の何が不満なんだ?」
ウェスの目は真剣そのものだった。
「私は貴方になんの不満もないわ」
不満なんてひとつもない。だが、クロエにはもうわかっているのだ。
明日の今頃、彼はこの話をすっかり忘れている。
これまで八年間、結婚に関する話題は何度も出ていた。
最初の頃はクロエの方が乗り気だったのだ。いずれカントリーハウスを仕切ることになる彼を支えようと尽くしていた。
『女は気楽でいい。美しくいれば簡単に幸せになれる』
自分と付き合うことは幸せなことなのだと、クロエに自慢げに何度も言って聞かせていた。ブランディーユ国では名の知れた伯爵家の長男であるウェスは、いつも自信に満ち溢れていた。がっしりとした体格に、万人受けするような整った容姿、いつも高級そうな物を身に着けて、金持ちであることを隠そうともしない。
クロエは今まで出会ったタイプとは正反対の彼に戸惑い、最初は交際を断っていた。だが、何度も情熱的に愛の言葉を贈ってくれた彼に根負けしたという形で交際をはじめた。
真っ直ぐに愛を語る彼は優しくて、クロエのことを一途に愛してくれる。ユーモアがあって朗らかな彼を、クロエはすぐに愛おしく思った。
そろそろ結婚の話を……と思った頃だった。彼の友人の一人が、『結婚はしない宣言』をしたらしいのだ。その理由に激しく同意した彼は、きっぱりとクロエに言ったのだ。
『結婚が全てではない、俺は結婚なんてしない』
その夜、クロエは少しだけ泣いた。だが、翌日にはケロッと結婚の素晴らしさについて語り始めた。
『結婚しよう、クロエ』
涙ながらに頷いたクロエだったが、指輪もない、クロエの両親に正式な挨拶をしたこともない。
ーーそう、一向に進展がないのだ。
あのプロポーズは何だったのか、と問うと、「だって、いずれは俺たち結婚するだろう?」と悪びれもなく言った。口先だけの言葉だったのだ。
それからというもの、彼はことごとく「結婚しよう」と言った。誰かの結婚式に参加したとき、彼の両親や親戚にせっつかれたとき、友人に恋人ができたとき、さみしくなったとき……。
極め付きがこれだった。
「俺のことを愛していないのか?」
愛しているならできるはず、愛しているなら許してくれるはず。
これは彼の友人の入れ知恵だろう。こうやって愛情を試されるのもあまりいい気分ではなかった。
彼はいつも幼馴染だという四人組でよく飲んでいるのだが、その内の一人が結婚をしたのだ。親しい人間が結婚したのだから、今回は尚更情熱的になっている。こうなると厄介だった。
昔は彼の言葉に一喜一憂していたのに、ただうんざりするばかりだった。今ではクロエの方が、"結婚が全てではない"という気持ちになっていた。
彼は本当に流されやすい。クロエはその流れについていくのに疲れてしまっていた。
「愛してるわ、もちろん……」
これだけ言っても、まだウェスは不満そうな表情を浮かべている。数え切れないほどのプロポーズの言葉に、いちいち感動なんてしていられない。それを、彼はわかっていないのだ。
いつか結婚をするなら、相手は彼以外考えられない。八年も一緒にいたのだから、それなりに二人で苦難を乗り越えてきた。相性だって悪くない。笑うタイミングも、食事の好みだってバッチリだ。良いことも悪いことも、二人で分かち合ってきた。
だが、口先ばかりで流されやすい彼に、最近ふと疑問に思うことがあるのだ。
ーー私は、本当に彼と幸せになれるの?
クロエ・マリンは気付かれないように小さく溜息を吐いた。
「だからさ、クロエ。結婚しよう」
熱っぽく見つめる彼は、クロエの恋人であるウェス・ジェームズだ。彼との交際期間はもうすぐ八年になる。
この台詞を聞いたのが初めてだったら、すぐに舞い上がっていたことだろう。それからすぐに"喜んで"と返事をしたと思う。
「ええ、そうね」
曖昧に笑うクロエに、ウェスは不満そうな表情を浮かべている。
「エイダンの奴、すごく幸せそうだったよ。奥さんと二人でこのまま田舎に引っ越すんだってさ。いいよな、自給自足で暮らしていくのも」
先月は田舎暮らしなんてまっぴら、華やかな町で暮らしたい、だなんて言っていたくせに。
エイダン・フォードはウェスの幼馴染だ。実家が田舎の方だという奥さんの為に、町を出て彼女の家業を手伝うとのことだった。エイダンは男爵家の五男で、特に周囲の反対もなく、すんなりと決まったことだったらしい。
ウェスによると、美人で料理上手な奥さんだという話だ。
さぞ惚気話をたくさん聞いてきたに違いない。クロエは他人の惚気話を聞くことが好きなので、本当はもっと話を聞いてみたいという気持ちがあった。だが、これから先に待ち受けることを思うと、話をすぐに切り上げた方が良さそうだ。クロエはそう判断した。
「本当、幸せそうね。おめでとう」
誤魔化すようにウェスの頬を両手で包んでキスをする。ウェスはその手をしっかりと掴んで離さない。真っ直ぐに目を見て、拗ねるように問い掛ける。
「クロエ、君は俺の何が不満なんだ?」
ウェスの目は真剣そのものだった。
「私は貴方になんの不満もないわ」
不満なんてひとつもない。だが、クロエにはもうわかっているのだ。
明日の今頃、彼はこの話をすっかり忘れている。
これまで八年間、結婚に関する話題は何度も出ていた。
最初の頃はクロエの方が乗り気だったのだ。いずれカントリーハウスを仕切ることになる彼を支えようと尽くしていた。
『女は気楽でいい。美しくいれば簡単に幸せになれる』
自分と付き合うことは幸せなことなのだと、クロエに自慢げに何度も言って聞かせていた。ブランディーユ国では名の知れた伯爵家の長男であるウェスは、いつも自信に満ち溢れていた。がっしりとした体格に、万人受けするような整った容姿、いつも高級そうな物を身に着けて、金持ちであることを隠そうともしない。
クロエは今まで出会ったタイプとは正反対の彼に戸惑い、最初は交際を断っていた。だが、何度も情熱的に愛の言葉を贈ってくれた彼に根負けしたという形で交際をはじめた。
真っ直ぐに愛を語る彼は優しくて、クロエのことを一途に愛してくれる。ユーモアがあって朗らかな彼を、クロエはすぐに愛おしく思った。
そろそろ結婚の話を……と思った頃だった。彼の友人の一人が、『結婚はしない宣言』をしたらしいのだ。その理由に激しく同意した彼は、きっぱりとクロエに言ったのだ。
『結婚が全てではない、俺は結婚なんてしない』
その夜、クロエは少しだけ泣いた。だが、翌日にはケロッと結婚の素晴らしさについて語り始めた。
『結婚しよう、クロエ』
涙ながらに頷いたクロエだったが、指輪もない、クロエの両親に正式な挨拶をしたこともない。
ーーそう、一向に進展がないのだ。
あのプロポーズは何だったのか、と問うと、「だって、いずれは俺たち結婚するだろう?」と悪びれもなく言った。口先だけの言葉だったのだ。
それからというもの、彼はことごとく「結婚しよう」と言った。誰かの結婚式に参加したとき、彼の両親や親戚にせっつかれたとき、友人に恋人ができたとき、さみしくなったとき……。
極め付きがこれだった。
「俺のことを愛していないのか?」
愛しているならできるはず、愛しているなら許してくれるはず。
これは彼の友人の入れ知恵だろう。こうやって愛情を試されるのもあまりいい気分ではなかった。
彼はいつも幼馴染だという四人組でよく飲んでいるのだが、その内の一人が結婚をしたのだ。親しい人間が結婚したのだから、今回は尚更情熱的になっている。こうなると厄介だった。
昔は彼の言葉に一喜一憂していたのに、ただうんざりするばかりだった。今ではクロエの方が、"結婚が全てではない"という気持ちになっていた。
彼は本当に流されやすい。クロエはその流れについていくのに疲れてしまっていた。
「愛してるわ、もちろん……」
これだけ言っても、まだウェスは不満そうな表情を浮かべている。数え切れないほどのプロポーズの言葉に、いちいち感動なんてしていられない。それを、彼はわかっていないのだ。
いつか結婚をするなら、相手は彼以外考えられない。八年も一緒にいたのだから、それなりに二人で苦難を乗り越えてきた。相性だって悪くない。笑うタイミングも、食事の好みだってバッチリだ。良いことも悪いことも、二人で分かち合ってきた。
だが、口先ばかりで流されやすい彼に、最近ふと疑問に思うことがあるのだ。
ーー私は、本当に彼と幸せになれるの?
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