他人に流されやすい婚約者にはもううんざり! 私らしく幸せを見つけます
10.打ち明け話
「私の方こそごめんなさい、少し気を張っていて……ピリピリしていたわ」
気にしていない風を装っていても、やはり心はささくれ立っていたのだろう。ノーランに苛立ちをぶつけてしまったことを恥ずかしく思った。上手く誤魔化せないノーランを責めたが、彼だってこんなピリピリしているような女の子なんて扱いに困ってしまうに決まっている。
「クロエ、君は本当にあの屋敷で一人で暮らしているの?」
ノーランは少し躊躇いがちに訊ねた。
「ええ、そうよ」
「さみしくないのか? 女の子一人だなんて……」
「今はね、のびのびしてるわ。それに少しの間だけだから、私はお留守番係なの。貴方こそ……」
広い部屋の中には人の気配がない。彼の身のこなしのスマートさや、雰囲気から数人の使用人くらいはいるだろう、とクロエは思っていた。
「ああ、ひとりだよ。少し訳ありでね」
「そうなの」
訳あり、含みのある言葉に気になったものの、あまり深く追及すると悪いと思ったクロエは短く答えた。
ノーランはある程度の質問責めを覚悟していたようで、少し面食らったような顔をしていたが、すぐにまた穏やかに微笑んだ。
「……アーモンド夫人の具合はどうだい?」
「すっかり元気だそうよ。でも、しばらくはお医者様に見てもらわないといけないんですって。だから、今は病院の近くの親戚の家で静養してるの」
「それがいい、ここからでは何もかもが遠いからな。それに、お元気そうなら安心だ」
「ありがとう」
彼が心から心配してくれていることは、声と表情で伝わった。家族以外の人がこんなに心配してくれることがこんなに心強いものだということを忘れていた。
ーーまったく、ペネロペおばあさまも人が悪いわ、こんな素敵な男性と親しくしていたことを黙っているなんて。
「このレモンケーキ、本当に美味いな。お世辞ではなく今まで食べた中で一番美味い」
ノーランは、クロエの作ったレモンケーキを口一杯に頬張ると、見ているこっちも幸せになるようなとびきりの笑顔を見せた。
「良かった、自信作よ」
"クロエのレモンケーキが世界一美味い"
ずっと思い出さないでいられたのに、どうしてこんな瞬間に思い出すのだろう。
ウェスもクロエの作ったレモンケーキが大好きだった。最初に作ったのは、確か二人でピクニックに行ったとき。それからは、大事な仕事の前には必ず作ってあげていた。美味しいものを食べて自分を鼓舞するのだと言っていた、それに験担ぎにもなるのだ、と。彼の役に立てることが誇らしくて、あの頃の二人は幸せだった。
永遠に続くと、信じていた頃。
「ああ、大いに自信を持ってくれ。本当に最高だよ……どうかした?」
「いいえ、何でもないの」
慌てて取り繕うように笑うが、すでに遅かった。ノーランは手を止めて真っ直ぐにクロエの目を覗き込んだ。些細な揺らぎも見透かされてしまいそうな、澄んだ蒼い瞳が揺れている。
「……前にお付き合いしていた方にも同じようなことを言ってもらえたことを思い出したわ」
別れたばかりなの、とおどけて見せる。ノーランの手がそっと伸びたかと思うと、クロエの手に優しく添わせた。
その手があまりに温かくて、その時初めて自分の手の冷たさに気付いた。
「……その、すまない。無神経だったかな」
「そんなことない、嬉しかったわ。貴方にそう言って貰えて、本当に嬉しいの」
「別れたばかり、というのは?」
ノーランは気遣うように、俯いたまま訊ねた。
「ハイガーデンへ向かおうとした朝よ、笑っちゃうでしょう」
「それは……、辛いな」
クロエはなるべく明るく、淡々と話した。こういう話は聞かされる方だって気を遣ってしまう。それに、聞いてるノーランの方がよっぽど辛そうだった。その顔を見ているだけで寄り添って話を聞いてることが伝わる。気休めの励ましではなく、ただ頷いてくれることに救われた。
「あまり実感が湧かないのよね。八年も一緒にいたのに、不思議だわ」
「……八年!?」
ノーランは目を丸くした。当然の反応だろう。
「それは……長いな。その、結婚は考えていなかったのか?」
「考えてたわ、このままずっと一緒にいるものだと思っていた。でも、きっと少しずつ気持ちがズレていたのね」
お互いに、と付け加える。些細なズレを感じたのはきっと自分の方だけではない。今にして思えば、彼が他人にあれほど流されるようになったのも、心の距離を測り直したかったからなのかもしれない。
「そんな顔しないで、大丈夫。私はこれからもっと幸せになるの。結婚には……あまり向いてないけど。幸せって、そればかりではないでしょう?」
「ああ、確かにそうだ」
ノーランは一瞬ハッとしたような表情をして、すぐにまた穏やかに微笑んだ。
「安心しろ。君なら、もっともっと幸せになる。このハイガーデンの地で」
ゆったりとした深くて優しい声に、泣きたくなるほど心が解れていく。まだ出会ったばかりなのに、どうしてこんなに安心できるのだろう。
「ありがとう。ノーラン、貴方がそう言ってくれると本当に心強いわ」
ノーランが右手を恭しく差し出した。クロエも同じように右手を差し出すと、固く互いの手を握った。
「……ようこそ、ハイガーデンへ」
彼らしくない、不器用で無骨な歓迎にクロエは思わず吹き出した。
ーー私は大丈夫。
そう、自分に言い聞かせた。
気にしていない風を装っていても、やはり心はささくれ立っていたのだろう。ノーランに苛立ちをぶつけてしまったことを恥ずかしく思った。上手く誤魔化せないノーランを責めたが、彼だってこんなピリピリしているような女の子なんて扱いに困ってしまうに決まっている。
「クロエ、君は本当にあの屋敷で一人で暮らしているの?」
ノーランは少し躊躇いがちに訊ねた。
「ええ、そうよ」
「さみしくないのか? 女の子一人だなんて……」
「今はね、のびのびしてるわ。それに少しの間だけだから、私はお留守番係なの。貴方こそ……」
広い部屋の中には人の気配がない。彼の身のこなしのスマートさや、雰囲気から数人の使用人くらいはいるだろう、とクロエは思っていた。
「ああ、ひとりだよ。少し訳ありでね」
「そうなの」
訳あり、含みのある言葉に気になったものの、あまり深く追及すると悪いと思ったクロエは短く答えた。
ノーランはある程度の質問責めを覚悟していたようで、少し面食らったような顔をしていたが、すぐにまた穏やかに微笑んだ。
「……アーモンド夫人の具合はどうだい?」
「すっかり元気だそうよ。でも、しばらくはお医者様に見てもらわないといけないんですって。だから、今は病院の近くの親戚の家で静養してるの」
「それがいい、ここからでは何もかもが遠いからな。それに、お元気そうなら安心だ」
「ありがとう」
彼が心から心配してくれていることは、声と表情で伝わった。家族以外の人がこんなに心配してくれることがこんなに心強いものだということを忘れていた。
ーーまったく、ペネロペおばあさまも人が悪いわ、こんな素敵な男性と親しくしていたことを黙っているなんて。
「このレモンケーキ、本当に美味いな。お世辞ではなく今まで食べた中で一番美味い」
ノーランは、クロエの作ったレモンケーキを口一杯に頬張ると、見ているこっちも幸せになるようなとびきりの笑顔を見せた。
「良かった、自信作よ」
"クロエのレモンケーキが世界一美味い"
ずっと思い出さないでいられたのに、どうしてこんな瞬間に思い出すのだろう。
ウェスもクロエの作ったレモンケーキが大好きだった。最初に作ったのは、確か二人でピクニックに行ったとき。それからは、大事な仕事の前には必ず作ってあげていた。美味しいものを食べて自分を鼓舞するのだと言っていた、それに験担ぎにもなるのだ、と。彼の役に立てることが誇らしくて、あの頃の二人は幸せだった。
永遠に続くと、信じていた頃。
「ああ、大いに自信を持ってくれ。本当に最高だよ……どうかした?」
「いいえ、何でもないの」
慌てて取り繕うように笑うが、すでに遅かった。ノーランは手を止めて真っ直ぐにクロエの目を覗き込んだ。些細な揺らぎも見透かされてしまいそうな、澄んだ蒼い瞳が揺れている。
「……前にお付き合いしていた方にも同じようなことを言ってもらえたことを思い出したわ」
別れたばかりなの、とおどけて見せる。ノーランの手がそっと伸びたかと思うと、クロエの手に優しく添わせた。
その手があまりに温かくて、その時初めて自分の手の冷たさに気付いた。
「……その、すまない。無神経だったかな」
「そんなことない、嬉しかったわ。貴方にそう言って貰えて、本当に嬉しいの」
「別れたばかり、というのは?」
ノーランは気遣うように、俯いたまま訊ねた。
「ハイガーデンへ向かおうとした朝よ、笑っちゃうでしょう」
「それは……、辛いな」
クロエはなるべく明るく、淡々と話した。こういう話は聞かされる方だって気を遣ってしまう。それに、聞いてるノーランの方がよっぽど辛そうだった。その顔を見ているだけで寄り添って話を聞いてることが伝わる。気休めの励ましではなく、ただ頷いてくれることに救われた。
「あまり実感が湧かないのよね。八年も一緒にいたのに、不思議だわ」
「……八年!?」
ノーランは目を丸くした。当然の反応だろう。
「それは……長いな。その、結婚は考えていなかったのか?」
「考えてたわ、このままずっと一緒にいるものだと思っていた。でも、きっと少しずつ気持ちがズレていたのね」
お互いに、と付け加える。些細なズレを感じたのはきっと自分の方だけではない。今にして思えば、彼が他人にあれほど流されるようになったのも、心の距離を測り直したかったからなのかもしれない。
「そんな顔しないで、大丈夫。私はこれからもっと幸せになるの。結婚には……あまり向いてないけど。幸せって、そればかりではないでしょう?」
「ああ、確かにそうだ」
ノーランは一瞬ハッとしたような表情をして、すぐにまた穏やかに微笑んだ。
「安心しろ。君なら、もっともっと幸せになる。このハイガーデンの地で」
ゆったりとした深くて優しい声に、泣きたくなるほど心が解れていく。まだ出会ったばかりなのに、どうしてこんなに安心できるのだろう。
「ありがとう。ノーラン、貴方がそう言ってくれると本当に心強いわ」
ノーランが右手を恭しく差し出した。クロエも同じように右手を差し出すと、固く互いの手を握った。
「……ようこそ、ハイガーデンへ」
彼らしくない、不器用で無骨な歓迎にクロエは思わず吹き出した。
ーー私は大丈夫。
そう、自分に言い聞かせた。