他人に流されやすい婚約者にはもううんざり! 私らしく幸せを見つけます

20.春の訪れ

 その日は穏やかな風が吹いていた。珍しく晴れた午後の昼下がり。

 珍しく昼間から開催された独り身同盟の会合を遠くに見ながら、ウェスは一人で風に当たっていた。

 毎晩のように酒を飲み続けているせいか、昼になっても酔いが抜けない。どこかふわふわとした気分のまま、店を出て来た。シルヴェスタは相変わらず元気そうに厚い肉を食っていた。ウェスはそんな彼をげんなりと見ていた。最近どうにも、食欲が湧かない。

 それもそのはずだ。母から結婚をせっつかれているのだが、そもそも相手がいない。ベスとは音沙汰なし、それどころか前回の失態の所為で一部の領民からは白い目で見られている。キリキリと痛み出す胃をさすった。


「帰りましょう」

 聞き覚えのある声がした気がして顔を上げるが、それは人違いだった。艶やかな黒髪を後で一つに纏めた女性が、背の高い男性に寄り添うように歩いている。

 本当は早く結婚がしたかった、他の誰でもなくクロエ・マリンと。一緒にいるのが当たり前過ぎて忘れてしまっていたのだ。嫌いになんてならない、離れようとなんて思わないと信じていた。
 周りの意見に流されずに、きちんと思いを伝えれば良かった。

ーー戻れるものなら、戻りたい。


「ウェス……? やっぱり、ウェスね」

 最初は幻聴かと思った。再び顔を上げると、今度こそクロエの姿だった。太陽の光に透ける金色の髪を靡かせて、にっこりと笑って手を振っている。

「クロエ、戻っていたのか」

 思わずウェスは駆け出していた。一際強い風が吹いて、ラベンダーの良い香りがした。懐かしいクロエの香りだ。

「……ペネロペおばあさまは元気?」

「ええ、すっかり元通りよ。無理はしないように、って言うんだけどね」

 弾むような声で、クロエはよく喋る。こんな風に屈託なく笑う彼女を久しぶり見た気がした。

「まさかウェスに会えるなんて思ってなかったわ」

「クロエ……」

 戻ってきたなら、俺たちやり直せないか。

 それは、結局言葉に出来なかった。クロエが出てきた店は、プランタンだった。クロエが"結婚式はプランタンで"と言っていたことを思い出す、そういう特別な店だ。
 よく見ると、ほっそりとした左手の薬指に指輪が輝いている。彼女の真っ白な肌によく馴染む、繊細な指輪だった。

ーークロエが好きそうな、シンプルなデザインだ。

 八年も一緒にいたのだから、当然何だってわかってしまう。彼女が何を好きなのか、どうしてこんなによく話すのか、どうしてこんなに機嫌がいいのか。

 別れを告げたのは自分の方なのに、後悔しているのは自分ばかりだ。


「迎えが来たわ。じゃあね、ウェス」

 車に颯爽と乗り込む横顔を、暖かい陽気が薔薇色に染めていた。キラキラと幸せそうに輝いている。

「……元気で」

 幸せなんて、祈れるものではないと思った。あの日、別れた冬からずっと。

ーーそれでも、元気でいてほしいと心から思う。

 暖かい日差しに目を細めた。春はすぐそこまで来ている。

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