他人に流されやすい婚約者にはもううんざり! 私らしく幸せを見つけます
6.愛情
出発の朝、クロエは複雑な気持ちでいた。パンパンに詰めた鞄をしばらく見つめながら、深い溜息を吐いた。
頼まれていることは、留守の間の屋敷の中の掃除、郵便の受け取り、庭の草花の水やり。
手紙には留守の間はクロエの好きなようにしていいと書いてあった。一人でのんびり暮らしてもいい、今の家から偶に遊びに来るような感覚で通ってもいい、とも。母はどうやらそのつもりらしく、大荷物を抱えたクロエに少し驚いていた。寂しくなったらすぐに帰ってくるわ、と言うと少し安心したように笑っていた。
「忘れ物はない?」
母が心配そうに訊ねた。
「お父様も仕事から戻ったらたまに様子を見に行くと言っていたわ」
父はちょうど仕事で町を離れていたのだが、まもなく戻る予定だった。父はあまりクロエのことを心配していないようだった。"お前はしっかりしているから"なんて言っていたくせに、実はかなり心配していたらしい。
「みんな心配しなくていいのに。もうすぐ迎えが来るわね」
まだ心配そうな顔をしている母の頬を擦り寄せると、クロエは荷物を抱えて屋敷の外へ踏み出した。ひんやりと肌寒い早朝の町は人通りも少ない。遠くから見慣れた馬が走ってくるのが見えた。
「……ウェス?」
「ああ、良かった。間に合った」
いつも通りの優しい笑顔に、クロエは少しだけ泣きそうになった。それを誤魔化すように、子どもみたいに彼に駆け寄る。温かい腕に包まれると、緊張していた心が解けていくようだった。
「ああ、ウェス。来てくれないかと思ったわ」
ウェスの冷えた頬をしっかりと両手で包む。
「私、やっぱり不安だったの。でも、貴方が来てくれて……ウェス?」
言い終わらないうちに、 ウェスはその場に片膝を突くと小さな箱を取り出した。
「……俺と結婚してくれ。クロエ」
「ウェス……」
ウェスはクロエの手を取り、そっと口付けた。彼女はうっとりとした表情を浮かべている。
「だから、どこにもいかないでくれ」
そう言うと、クロエはさっと手を振り払った。眉を寄せて、口を固く閉じている。ああ、これは怒らせてしまった。ウェスは天を仰いだ。
「それを言いたくてここまで来たの?」
「……ああ、そうだ。俺を愛しているなら、俺を選んでくれるだろう?」
「愛してるわ。でも……貴方は?」
突然の問いかけに、ウェスは口をパクパクさせるばかりで答えがすぐに出てこないようだった。
「貴方も私を愛しているなら、私のことを応援してほしい。こんなふうに反対するんじゃなくて」
「俺は君の幸せのために言ってるんだ」
ウェスはようやく口がきけるようになったようで、少し怒ったように答えた。
「こんなに長く一緒にいたのだから、私のことはもうわかっているでしょう」
何が幸せなのか、決めるのは私自身だ。それに、愛情を試されるようなことをされるのは嫌だと前にも言ったはずだった。悲劇的な結末を迎えるかもしれないと、どうして予想出来なかったのだろうか、それがとても悲しかった。
「……どうしても行くと言うなら、君とは終わりだ」
ウェスは黙ったままのクロエに、勝ち誇ったように言い放った。
"ごめんなさい、私が悪かった"なんて、言うとでも思ったのだろうか?
「なあ、意地を張るな。指輪だって用意した。今から君のご両親に正式に挨拶に行く」
「嬉しいわ、ウェス……でも、父は今仕事で町を離れているの。それから、指輪も職人さんに作って貰おうって話してたわよね?」
ウェスの顔がみるみる青褪めていく。
「君の父上のことは……すまない。忘れていたんだ、慌てていたから。それは日を改めよう」
もごもごと、視線を彷徨わせながら言い訳じみたこばかり言っている。
「だが、指輪は我がジェームズ家に伝わるもので……」
「ええ、それも素敵よ。でも、貴方から言い出したのよ。"俺たちは二人で新しい指輪を作ろう"って」
エイダンもオーランドもそうしたいと言っていたって。そう付け加えた声は、クロエ自身も驚くほどの冷たい声だった。
「……貴方はいつも誰かの意見に流されてばかり。それなのに、どうして私の話はきちんと聞いてくれないの?」
ついに言ってしまった。クロエは少しだけ後悔したが、全部今更だった。ここまで来たらもう戻れない。
「俺はいつだって君の為に言ってるんだ」
ここまで言っても、ウェスの態度はまだ頑なだった。
「……貴方が終わりにしたいと言うなら仕方がないわ」
いつからこうなってしまったのだろう。今までたくさん喧嘩もしてきたが、これほどまで"終わり"を感じたのは初めてだった。
「君みたいなわからずや、俺の手には負えない。後悔するぞ、俺と別れて山奥に引っ込んで……嫁の貰い手が見つかればいいが」
吐き捨てるように言った台詞からは、クロエへの愛はもう感じられなかった。
「……貴方の幸せを心から祈ってる。今度はわからずやではない、可愛い女の子を見つけてね」
俯くウェスに、思わず手を伸ばし掛けたが、すぐに引っ込めた。彼を元気付けられるのは私ではない。
遠くから今度こそ迎えの車がやって来ているのが見える。
「……迎えが来たわ。もう、行かなくちゃ」
頼まれていることは、留守の間の屋敷の中の掃除、郵便の受け取り、庭の草花の水やり。
手紙には留守の間はクロエの好きなようにしていいと書いてあった。一人でのんびり暮らしてもいい、今の家から偶に遊びに来るような感覚で通ってもいい、とも。母はどうやらそのつもりらしく、大荷物を抱えたクロエに少し驚いていた。寂しくなったらすぐに帰ってくるわ、と言うと少し安心したように笑っていた。
「忘れ物はない?」
母が心配そうに訊ねた。
「お父様も仕事から戻ったらたまに様子を見に行くと言っていたわ」
父はちょうど仕事で町を離れていたのだが、まもなく戻る予定だった。父はあまりクロエのことを心配していないようだった。"お前はしっかりしているから"なんて言っていたくせに、実はかなり心配していたらしい。
「みんな心配しなくていいのに。もうすぐ迎えが来るわね」
まだ心配そうな顔をしている母の頬を擦り寄せると、クロエは荷物を抱えて屋敷の外へ踏み出した。ひんやりと肌寒い早朝の町は人通りも少ない。遠くから見慣れた馬が走ってくるのが見えた。
「……ウェス?」
「ああ、良かった。間に合った」
いつも通りの優しい笑顔に、クロエは少しだけ泣きそうになった。それを誤魔化すように、子どもみたいに彼に駆け寄る。温かい腕に包まれると、緊張していた心が解けていくようだった。
「ああ、ウェス。来てくれないかと思ったわ」
ウェスの冷えた頬をしっかりと両手で包む。
「私、やっぱり不安だったの。でも、貴方が来てくれて……ウェス?」
言い終わらないうちに、 ウェスはその場に片膝を突くと小さな箱を取り出した。
「……俺と結婚してくれ。クロエ」
「ウェス……」
ウェスはクロエの手を取り、そっと口付けた。彼女はうっとりとした表情を浮かべている。
「だから、どこにもいかないでくれ」
そう言うと、クロエはさっと手を振り払った。眉を寄せて、口を固く閉じている。ああ、これは怒らせてしまった。ウェスは天を仰いだ。
「それを言いたくてここまで来たの?」
「……ああ、そうだ。俺を愛しているなら、俺を選んでくれるだろう?」
「愛してるわ。でも……貴方は?」
突然の問いかけに、ウェスは口をパクパクさせるばかりで答えがすぐに出てこないようだった。
「貴方も私を愛しているなら、私のことを応援してほしい。こんなふうに反対するんじゃなくて」
「俺は君の幸せのために言ってるんだ」
ウェスはようやく口がきけるようになったようで、少し怒ったように答えた。
「こんなに長く一緒にいたのだから、私のことはもうわかっているでしょう」
何が幸せなのか、決めるのは私自身だ。それに、愛情を試されるようなことをされるのは嫌だと前にも言ったはずだった。悲劇的な結末を迎えるかもしれないと、どうして予想出来なかったのだろうか、それがとても悲しかった。
「……どうしても行くと言うなら、君とは終わりだ」
ウェスは黙ったままのクロエに、勝ち誇ったように言い放った。
"ごめんなさい、私が悪かった"なんて、言うとでも思ったのだろうか?
「なあ、意地を張るな。指輪だって用意した。今から君のご両親に正式に挨拶に行く」
「嬉しいわ、ウェス……でも、父は今仕事で町を離れているの。それから、指輪も職人さんに作って貰おうって話してたわよね?」
ウェスの顔がみるみる青褪めていく。
「君の父上のことは……すまない。忘れていたんだ、慌てていたから。それは日を改めよう」
もごもごと、視線を彷徨わせながら言い訳じみたこばかり言っている。
「だが、指輪は我がジェームズ家に伝わるもので……」
「ええ、それも素敵よ。でも、貴方から言い出したのよ。"俺たちは二人で新しい指輪を作ろう"って」
エイダンもオーランドもそうしたいと言っていたって。そう付け加えた声は、クロエ自身も驚くほどの冷たい声だった。
「……貴方はいつも誰かの意見に流されてばかり。それなのに、どうして私の話はきちんと聞いてくれないの?」
ついに言ってしまった。クロエは少しだけ後悔したが、全部今更だった。ここまで来たらもう戻れない。
「俺はいつだって君の為に言ってるんだ」
ここまで言っても、ウェスの態度はまだ頑なだった。
「……貴方が終わりにしたいと言うなら仕方がないわ」
いつからこうなってしまったのだろう。今までたくさん喧嘩もしてきたが、これほどまで"終わり"を感じたのは初めてだった。
「君みたいなわからずや、俺の手には負えない。後悔するぞ、俺と別れて山奥に引っ込んで……嫁の貰い手が見つかればいいが」
吐き捨てるように言った台詞からは、クロエへの愛はもう感じられなかった。
「……貴方の幸せを心から祈ってる。今度はわからずやではない、可愛い女の子を見つけてね」
俯くウェスに、思わず手を伸ばし掛けたが、すぐに引っ込めた。彼を元気付けられるのは私ではない。
遠くから今度こそ迎えの車がやって来ているのが見える。
「……迎えが来たわ。もう、行かなくちゃ」