フラワーガールは御曹司の一途な愛から離れられない。……なんて私、聞いてない!
「なんだ、知ってたのか。御笠家(うち)の若輩者は誰も、この部屋で庶民の暮らしを体験しなければいけないと決まりがあってな。いわば、研修のようなものだ」

 ――知らなかった。

 彼は言いながら、取り付けた棒が倒れないかをチェックした。

「俺がここに住んでいるということは、他言無用で頼む。あ、次はこれか?」

 彼は足元の天板を手に取る。
 それではっとして、慌てて口を開いた。

「こういうのは、下から取り付けたほうがいいです!」

「ああ、そうなのか。良く知ってるんだな」

 彼は手に持っていたものを置き、別の板を手に取る。
 その何気ない動作が、急にスマートに感じた。

「ところで、お前は?」

「へ?」

「名前。隣の住民の名前、知らないのもおかしいだろう」

「あ、南戸美緒と申します」

「美緒、な」

 彼に名前を呼ばれ、またトクンと胸が鳴る。
 なんだか私ってミーハーだなと、自分の心臓にため息をこぼした。

 *

 無事に棚を取り付け終わる。

「ありがとう、助かった」

 彼の口角が上がり、顔が熱を持ってしまう。

「いえ、では」

 と、彼の部屋を後にしようとした。けれど。

「あ、」

 と、伸びてきた手は私の腕を掴む。

「何ですか⁉」

 振り返ると、ニコッと微笑まれてしまう。

「良かったら、夕飯一緒にどうだ? 今日の礼に。俺、借りは作らない主義なんだ」

「……じゃあ、お言葉に甘えて」

 言えば、彼はポケットから取り出したスマホを操作し始める。

「好きなものは? 今から頼むから、時間がかかってしまうが――」

「えっと……」

 悩んでいると、彼がスマホの画面を私に向けた。
 そこに書いていあるのは『出張シェフ』の文字。

「待って、もしかしてシェフを呼ぶんですか?」

「ああ。ここで契約してるのは三ツ星レストランのシェフだから、どれも味は間違いない」

 そういうことじゃない。私が驚いたのは――

「……あの、庶民の暮らしの体験をしてるんですよね?」

「そうだが――」

「庶民は部屋にシェフは呼びません!」
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