一夜の甘い夢のはず
「おいしい」

 気持ちを落ち着かせるために口に入れたチョコレートに、思わず声が漏れてしまった。

「お気に召していただけてなによりです」

 スーツの女性に微笑まれてしまう。
 でも、本当においしかった。これは、年に一度デパートの催事場で買う一粒数百円の清水の舞台から飛び降りた自分チョコの味。こんな風に、お茶請けみたいなノリで出されていいものじゃない気がする。
 歯を入れると薄く割れるチョコレートのコーティングからカカオの香りが華やかで、中からとろけ出すガナッシュはラムが香って甘く溶ける。
 これって後からお金請求されるの? ミネラルウォーターも千円ぐらいしたりするんだろうかと不安になる。時価とは違うだろうけど、値段のわからないものを頼むような羽振りはしていない。
 私が一抹の不安を抱いていると、それを見透かしたように女性が話し始める。

「本日担当させていただきます、雛宮(ひなみや)菜月(なつき)と申します」

 きれいな角度でお辞儀をするスーツの女性、雛宮さん。

「晴政様から一ノ瀬様のお気に召すものをと仰せつかっております。代金は全て晴政様が持たれますので、どうそ心ゆくまでお買い物をお楽しみください」

 つまり、人の金で好きなだけ買い物を楽しめるとな……楽しめる気がしない。そもそもデパートなのに謎の小部屋に案内されて、商品はいったいどこにあるのかわからない。どういうシステムなのかさっぱり。
 でも、正直このチョコレートはおかわりしたい。
 チョコのことはひとまず忘れようと水を口にしたけど、なんだかよくわからないけどこれも美味しかった。水がおいしいって、どういうことなんだろう。ただ冷たくておいしいってだけじゃない。なんだか凄くまろやかで、チョコの後味だけじゃない甘さも感じた気がした。やっぱり、たぶんこれもお高い水だ。
 お金のことばっかり考えて卑しいと思うけど、場違い過ぎて仕方がない。ショッピングモールで買った、ゼロの一つ足りない服が恥ずかしかった。
 雛宮さんは、桜雅さんのことを晴政様と呼んだ。下の名前で呼ぶぐらい、親しいんだと思うと胸が痛む。それだけ常連のお客様ってだけのことかもしれないけど、素敵にスーツを着こなす女性に適う気はしない。
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