一夜の甘い夢のはず
「とんだ野良猫を拾ってきたみたいね。ピグマリオンでもする気かしら?」
野良猫――
化粧っ気もなくてジャージにスニーカーな女性らしさのかけらもない私を不憫に思って、桜雅さんはこんな贈り物をしようと思ったんだろうか。私には理解できないような価値でも、それでもただの野良猫から小判を持った野良猫ぐらいにはグレードアップできる。私には理解できなくても、周りの人は理解できるかもしれない。
ピグマリオンも――なんだろう。私には理解できない言葉に、教養の差も感じさせられる。
晴政お兄様ってことは、桜雅さんの妹さんなんだろうか。
私よりもうんと若くて綺麗で品のある女性。こんな人と日常を共にしているのなら、私なんて本当に野良猫に見えるだろうな。
毎日生き延びるので精いっぱいで、毛並みもガザガザの貧弱な猫。優しい保護精神で、私に声をかけてくれたんだろうか。
桜雅さんの妹さんならちゃんと挨拶をしなくっちゃって思うのに、彼女と自分とのギャップに恥じ入って、声が出ない。
指に嵌められたままの指輪が私をますます惨めにさせた。
「麗華お嬢様。そのようなことをおっしゃっては、晴政様が哀しみますよ」
雛宮さんがかばってくれたけど、麗華お嬢様と呼ばれた彼女の眼は鋭く私を射抜いたまま動かない。
「本当のことを言っただけじゃない。彼女だってわかっているでしょう。自分には相応しくないって……ほら、こんなに居心地が悪そうじゃない」
図星だった。
こんな場所、私に相応しい場所じゃない。どう振舞ったらいいのかもわからずに、うろたえるしか出来ない。
自分で触っていいものかさえ分からずに一瞬ためらったけど、私は指輪を抜いてトレーに戻した。
「本当に、その通りです。桜雅さんの妹さんですか? お兄さんに、よろしくお伝えください。お礼はこれで十分です。貴重な体験をさせていただきました」
私は、荷物を持って立ち上がる。
「雛宮さんも、ありがとうございます。綺麗な物見せていただけて、とても楽しめました」
頭を下げて、出口に向かって踵を返す。
ああ、でも帰る道をちゃんと覚えているだろうか。
「一ノ瀬様……」
雛宮さんが引き留める様子を見せたけど、それを更に麗華さんが引き留める。
「引き留める方が可哀そうよ」
本当にその通りだった。図星ばかり突かれて、胸が穴だらけになりそう。
泣きそうになりながら扉を開けて飛び出した私は――壁に鼻をぶつけた。
「一ノ瀬さん! 大丈夫ですか、お怪我はありませんか?」
「は、はい。大丈夫です……」
鼻を抑えて半歩下がる。壁を見上げるとそこには桜雅晴政さんの顔があった。私がぶつかった壁は、桜雅さんの胸板だった。
私の頬に手を添えて、顔を桜雅さんの方に向けられる。私の顔を見てけがをしていないことを確認すると、桜雅さんは手を放してその長い体を折って深々と頭を下げた。
「連絡もせず、長々とお待たせしてしまい申し訳ありませんでした。室生の迎えが間に合ったようでほっとしていたのですが……もう、お帰りですか?」
頭を下げたまま眉根を寄せて私の方をうかがってくる。その上目遣いが叱られた大型犬のようで、頑なになっていた私の気持ちがほぐれていくのがわかった。
「お花を摘みに行くところだったのよ、引き留めないであげなさい」
部屋の中からそう声をかけてきたのは、意外なことに麗華さんの方だった。
そういうことにしてさっさと帰りなさいっていう意味だったのかもしれないけど、雛宮さんが部屋から出てきて私を誘導する。
「お手洗いは左手の方にございます。ご案内いたしますね」
桜雅さんが「それは失礼いたしました」と道を開けてくれて、私は雛宮さんと行きたくもないトイレへ行くことになった。
野良猫――
化粧っ気もなくてジャージにスニーカーな女性らしさのかけらもない私を不憫に思って、桜雅さんはこんな贈り物をしようと思ったんだろうか。私には理解できないような価値でも、それでもただの野良猫から小判を持った野良猫ぐらいにはグレードアップできる。私には理解できなくても、周りの人は理解できるかもしれない。
ピグマリオンも――なんだろう。私には理解できない言葉に、教養の差も感じさせられる。
晴政お兄様ってことは、桜雅さんの妹さんなんだろうか。
私よりもうんと若くて綺麗で品のある女性。こんな人と日常を共にしているのなら、私なんて本当に野良猫に見えるだろうな。
毎日生き延びるので精いっぱいで、毛並みもガザガザの貧弱な猫。優しい保護精神で、私に声をかけてくれたんだろうか。
桜雅さんの妹さんならちゃんと挨拶をしなくっちゃって思うのに、彼女と自分とのギャップに恥じ入って、声が出ない。
指に嵌められたままの指輪が私をますます惨めにさせた。
「麗華お嬢様。そのようなことをおっしゃっては、晴政様が哀しみますよ」
雛宮さんがかばってくれたけど、麗華お嬢様と呼ばれた彼女の眼は鋭く私を射抜いたまま動かない。
「本当のことを言っただけじゃない。彼女だってわかっているでしょう。自分には相応しくないって……ほら、こんなに居心地が悪そうじゃない」
図星だった。
こんな場所、私に相応しい場所じゃない。どう振舞ったらいいのかもわからずに、うろたえるしか出来ない。
自分で触っていいものかさえ分からずに一瞬ためらったけど、私は指輪を抜いてトレーに戻した。
「本当に、その通りです。桜雅さんの妹さんですか? お兄さんに、よろしくお伝えください。お礼はこれで十分です。貴重な体験をさせていただきました」
私は、荷物を持って立ち上がる。
「雛宮さんも、ありがとうございます。綺麗な物見せていただけて、とても楽しめました」
頭を下げて、出口に向かって踵を返す。
ああ、でも帰る道をちゃんと覚えているだろうか。
「一ノ瀬様……」
雛宮さんが引き留める様子を見せたけど、それを更に麗華さんが引き留める。
「引き留める方が可哀そうよ」
本当にその通りだった。図星ばかり突かれて、胸が穴だらけになりそう。
泣きそうになりながら扉を開けて飛び出した私は――壁に鼻をぶつけた。
「一ノ瀬さん! 大丈夫ですか、お怪我はありませんか?」
「は、はい。大丈夫です……」
鼻を抑えて半歩下がる。壁を見上げるとそこには桜雅晴政さんの顔があった。私がぶつかった壁は、桜雅さんの胸板だった。
私の頬に手を添えて、顔を桜雅さんの方に向けられる。私の顔を見てけがをしていないことを確認すると、桜雅さんは手を放してその長い体を折って深々と頭を下げた。
「連絡もせず、長々とお待たせしてしまい申し訳ありませんでした。室生の迎えが間に合ったようでほっとしていたのですが……もう、お帰りですか?」
頭を下げたまま眉根を寄せて私の方をうかがってくる。その上目遣いが叱られた大型犬のようで、頑なになっていた私の気持ちがほぐれていくのがわかった。
「お花を摘みに行くところだったのよ、引き留めないであげなさい」
部屋の中からそう声をかけてきたのは、意外なことに麗華さんの方だった。
そういうことにしてさっさと帰りなさいっていう意味だったのかもしれないけど、雛宮さんが部屋から出てきて私を誘導する。
「お手洗いは左手の方にございます。ご案内いたしますね」
桜雅さんが「それは失礼いたしました」と道を開けてくれて、私は雛宮さんと行きたくもないトイレへ行くことになった。