一夜の甘い夢のはず
「あっ、すみません」

 私が指輪を見つめて惚けていると、寝室に人影が入ってきてすぐに引っ込んだ。扉の影に顔を隠す春政さんに、私は慌てて布団をかき集めて胸を隠す。
 一夜を共にしたというのにその反応が愛しくて、思わず笑みが零れた。置いて行かれたわけじゃなかった。甘い夢の余韻は、まだしばらく続きそうだった。

「失礼しました」

 私の肌が見えなくなったことを確認して、春政さんが寝室に足を踏み入れてくる。
 プリズムの下に立つ春政さんは、本当に王子様みたいだった。豪華な部屋がこんなに似合う人って、なかなかいないと思う。
 ネクタイもつけてなくて緩く胸元も開いた簡素な服装なのに、どうしてこんなに様になるんだろう。ベッドに近づいて腰かけると、シャツの左腹に生地と同色の糸でH.O.とイニシャルが刺繍されているのが見えた。

「あの、これ……」

 おずおずと左手を春政さんの方に差し出すと、彼は小さく頷いて事も無げに言う。

「指輪です。差し上げます」

「え? な……」

 道案内のお礼はもうスカーフで返してもらったはずだった。こんな高価そうな指輪を貰う謂れがない。頭の中が混乱しすぎて、上手く言葉が出てこない。
 手切れ金? 口止め料? そんな言葉が頭のなかを巡るけど、でもそれなら指輪の形をしている必要なんてないし、眠っている間に左手の薬指に嵌めるなんてサプライズも必要ない。

「一ノ瀬百華さん」

 春政さんの声で、頭の中が水を打ったように静かになる。生まれてからずっと慣れ親しんできた名前に、こんな特別な響きを感じるなんて思ってもこなかった。
 春政さんの大きな手が、私の左手を捕まえる。昨日、この手に何度どんな風に愛撫されたことか。記憶がよみがえり、肌が桜色に染まる。
 色を増した手の甲に、春政さんの唇がふれる。

「私と結婚を前提にお付き合いしていただけませんか」

 キスをしながらも、春政さんの目は私を真っ直ぐに見つめて離さなかった。
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