一夜の甘い夢のはず
「けっ……!?」

 突拍子もない言葉に、全身が粟立った。
 一介の保育士が財閥御曹司とワンナイトっていうだけでもなかなかない出来事なのに、交際を申し込まれる。しかも、結婚前提。
 ただのお付き合いなら火遊びの延長とかって思えたけど、それはない。やっぱりなんらかの詐欺!?
 頭の中がぐるぐるして、目も回ってきそうだった。適当に誤魔化してこの場を逃げたかったけど、一糸まとわぬ姿ではそれも出来ない。
 ちゃっかり自分だけ服を着ている春政さんが憎らしい。仕立ての良いシャツに、憎さ余ってカッコ良さ百倍とか、本当に私は混乱していた。

「もちろん、受け取り拒否していただいても構いません」

 春政さんの唇が離れて、今度は両手で私の手を包み込んでくる。その間もずっと射抜く様な眼差しを向けてきて、柔らかい雰囲気が消えていてなんだか怖かった。

「順番が前後してしまったこと、申し訳なく思います。結局、私は卑怯ですね……断られるかもと思うと、一夜の思い出だけでも欲してしまった」

 春政さんの手が、かすかに震えていた。
 強い眼差しが緊張のせいだと気が付き、本気が伝わってくる。
 一夜の甘い夢に酔いしれていたのは、春政さんも同じだった。でも、その夢の続きを望んでくれている。

「どうして、私なんですか? だって、春政さんは桜雅財閥の跡継ぎで、私はただの保育士ですよ? ちょっと電車を案内しただけで」

 思わず目を逸らして逃げそうになる私を離すまいと、春政さんの手に力が入る。 

「貴女にとってはそうかもしれませんが、私にとっては違います。ずっと見ていました、百華さん」

 逃げるはずが強く手を引かれて、気づけば彼の腕の中。強く抱きしめられていた。
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