一夜の甘い夢のはず
 私が近づくとお母さんは注意されると思ったのか、慌てた様子で子どもを抱き上げようとした。

「すみません!」

「いえっ、違うんです。私保育士なんですけど」

 抱っこされそうになってますます暴れる子どもに悪戦苦闘するお母さんに、不審者ではないと思ってもらうため職業を名乗る。

「それで、よかったらコレ……お子さんにあげてもいいですか?」

 私がカバンから取り出したそれに気づいた子どもは釘付けになり、動きが止まる。暴れるのをやめて、じっと見つめてくる。

「ありがとうございます……」

 子どもを抱っこできたお母さんがぺこりと頭を下げてくれて、私はそれをその子に差し出した。

「車好きかな? それとも電車? よかったら、両方どうぞ」

 私がカバンから取り出したのは、画用紙を切り貼りして作った車と電車のカードだった。家でも作業しようと思って持って帰ってきた物だけど、あげちゃってもいいや。
 その子は両手を伸ばして、両方受け取ってくれた。涙と鼻水でぐちゃぐちゃの顔で、笑ってくれた。

「すみません、ありがとうございます」

 ぺこぺこと何度もお母さんが頭を下げていると、ホームに電車が入ってきた。

「お母さん、大丈夫ですよ」

 親子が乗る電車だったらしく、扉が開くとまた頭を下げて中に入っていった。

「ありがとうございます」

 男の子も、お母さんに抱っこで運ばれながら私にバイバイって車のカードを持った手を振ってくれた。
 各駅停車だからか比較的空いていて、優先座席に座れたのが見えた。電車を乗っている間ぐらい、アレでご機嫌でいてくれたらいいんだけど。
 カードを見つめる男の子の顔をお母さんが拭いてあげているのを見てたら、お母さんと目が合って会釈されてしまった。私もお辞儀を返して、これ以上気を使わせてはいけないと彼のもとに走って戻っていった。

「すみませんでした!」

 彼はさっきの場所で私を待っていてくれていた。

「いえ、大丈夫です。この電車には乗らなくていいんですよね?」

「はい。そうです! すみません。案内するとか言っときながら、ほっぽり出してしまって」

 私が頭を下げると、彼は気にしないでと笑ってくれる。

「お気になさらないでください。とても素敵でした」

「とんでもないです!」

 ずっと見られていたんだと思うと、なんだか恥ずかしい。ちゃんと泣き止ませられてよかった。
 保育士で子どもに慣れている方とはいえ、私の勤め先は小規模保育であの年の子は預かってないし、初対面だからどんな子なのか前情報もない。余計に泣かせてしまうことも十分考えられた。いくつか手は考えていたけど、最初のが大当たりですごくほっとした。

「私も子どもは好きなんですが、どう接したらいいのかわからなくて。情けない話ですが、目が合っただけで泣かれてしまうことも多いんですよ」

「体が大きいと怖がられやすいですからね」

 男性保育士の方が好きっていう子もいるけど、最初は警戒する子が多いのは確か。

「最初は話しかけたり目を合わせたりしないで、保護者の方が一緒にいるなら保護者と話してるのを見せて安心させたり、子どもの方に自分が大丈夫な人だって観察してもらえる時間を作るといいかもしれませんね」

 子ども好きだとついつい仲良くなりたくて急に目線を合わせて声を掛けたり頭をなでたりしたくなっちゃうけど、それをすると人見知りの子はますます警戒してしまう。
 大人だって、初対面の人にいきなりガンガン来られたら引いてしまう。私も実習中に先輩から教えられたこと。子供にだってパーソナルスペースはあるし、見守ることが大切だって。

「なるほど!」

「すみません、偉そうに……」

 自分もまだまだ勉強中の身なのに、恥ずかしい。でも、物腰も柔らかいし笑顔の素敵な彼なら、きっと子どもに愛される人になれると思う。

「とんでもない! 勉強になります」

 にこやかな彼の笑顔に胸が温かくなっていると、私たちが乗る電車が駅のホームに入ってきた。
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