愛しい師よ、あなただけは私がこの手で殺めなければー大賢者と女剣士の果しあいー
孔雀石を多く含むベルベットのような質感の地面に、パタパタと赤い血が散った。
血が流れる元には頭蓋を砕かれた幼子、血に塗れることも厭わず頭をつかみ高々と掲げる老賢者がいる。
シャンガは口を抑えたいのを堪えて、前方の人物に必死に問う。
「なぜ、なぜこんなことをしたのですか!! 最も徳が高く、その叡智で数多の人を救い、讃えられてきた、善なる賢人たる貴方が……こんな、所業を!!」
光沢を持つ夜空色のローブをまとい、シャンガに話しかけられた男はなおも幼子の遺骸を手放さない。
彼は村の、地域の誰よりも齢を重ねその時間を知識に変えてきた聖者にして魔法の使い手。
百を越えようかという体は枯れ枝のように細い。だが今、どこにあったのかと驚く腕力を持続している。
深い、翡翠色の瞳がシャンガを捉える。
ずっと、その瞳に秘められていた知性と慈愛に親しんできた。
若い頃はさぞ美男子だったろうくっきり通った鼻梁の下、長く蓄えられた髭は、おこなった悪行によっても返り血を一滴たりと受けておらず、純白だ。
髭から垣間見える口に元はいつも人々を見守ってきたのと同じ高貴で柔和な微笑。
村の子を童から赤子まで、五十人も砕いておいて。
まったく変わらぬ笑みを浮かべられるなんて。
「悪鬼が取り憑いたとしか思えない!! ここまで酷いことを、なにも感じずやれるか!?」
低きに流れた赤い液体が、シャンガの横で血鏡をつくる。
そこに映る亜麻色の髪を振り乱し、涙と鼻水でぐしょぐしょに表情を歪めた、ちっぽけな村娘のなんて哀れな様子だこと。
常ならば、悲しいことがあれば目前の賢者はシャンガを穏やかに慰めてくれた。導いてくれた。
「黙ってないでっ、答えてください!! ゼウラ師匠!! 師匠!! 急にどうしたんです? なぜこんな非道をやれるほど変心してしまったんですか!?」
貼り付けた表情を変えず、師ゼウラはがらんどうな瞳でシャンガを一瞥し、持っていた亡骸を地に投げつけた。
師を止めなければ、こんなのは何かの間違いだ。
師は優しいひとだから。こんなことを自分が起こしたと、正気にかえって知ったら胸張り裂けてしまう。
緑混じりの土をつかむように。姿勢を前傾させたシャンガは持ち前の瞬発力でゼウラに飛びついた。
男とはいえ、老人。二十代後半で、女だてらに村でも力自慢なシャンガなら、押さえることが可能なはず。
至近距離ならば魔法も使えまい。
しかし賢人相手に甘い目論みであった。
乱心の師ゼウラは飛びかかった先にはすでになかった。
全力の押さえ込みは空を切り、交差させた腕はシャンガの身に当たるだけ。
誰もいなくなったその先へ、彼女は喉が裂けそうなほどの声音で叫ぶ。
「師匠!! 師匠!!! 逃げるのですか、己の凶行から、私から、師匠──」
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