恋は秘密のその先に
「むーーーー!何よもう!あれじゃまるで私が悪者じゃないのよーーーー!」
一人になったエレベーターの中で、真里亜は思わず大声で叫ぶ。
あれから、あのお客様とエレベーターで二人きりになり、エントランスに迎えに来た車まで見送ったのだが、なんともまあ恐ろしい雰囲気だった。
深々と頭を下げ、車が見えなくなると、真里亜はくるりと向きを変えてスタスタとエレベーターに乗り込んだ。
「副社長めー、私をいいように利用して!」
地団駄を踏みそうになるが、エレベーターが揺れて慌ててやめた。
「あー、もうだめだ!あの部屋には戻りたくない!」
確かこの後のスケジュールは、17時まで入っていなかったはず。
思いがけずお客様のお帰りが早くなったこともあり、しばらくは時間がある。
真里亜は副社長室のある最上階ではなく、1つ下の階でエレベーターを降りた。
廊下を進み、吹き抜けの空間が広がるアトリウムラウンジまで行くと、窓の外を眺めながらコーヒーを飲む。
外には青空が広がり、時の流れもゆったりと感じられ、真里亜はようやく気持ちが落ち着いてきた。
ふう…と深呼吸した時、おや?と後ろから声がして振り返る。
「珍しいですね、阿部さんがここにいらっしゃるなんて」
「住谷さん!お疲れ様です」
「お疲れ様です。何かありましたか?」
住谷は、エスプレッソマシーンのボタンを押しながら尋ねる。
「うーん、何かあったというか、いつもあるというか…」
煮え切らない返事をする真里亜の向かい側に、いいですか?と断ってから住谷が座った。
「住谷さん。副社長って、血の通った人間なんですか?」
真顔で聞く真里亜に、住谷はゴホッと咳き込む。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫です、失礼」
肩で大きく息をしてから、住谷は顔を上げた。
「阿部さんは、副社長は人間だとは思えないのですか?」
「んー、生物学的には人間なのでしょうけど、単に同じ部類の生命体としか思えません」
せ、生命体…と、住谷は眉間にしわを寄せて笑いを堪えている。
「住谷さんは?副社長のことを同じ人間だと思えるのですか?」
「うーん、そうですね。私から見れば副社長は、手の届かない程優秀で有能な素晴らしい方です」
え?!と真里亜は驚いて目を見開く。
「う、嘘でしょ?私、唯一住谷さんだけは何でも話せる相談相手だと思って頼りにしてたのに…」
もうだめだ、住谷さんとも話が通じない、と呟くと、住谷は苦笑いした。
「でも阿部さんがおっしゃることも分かりますよ。副社長は、女性が相手となると、途端に態度がおかしくなりますからね。秘書課の女性全員が匙を投げるなんて、よほど重症なのでしょう」
「そうですよね!」
真里亜は、グッと身を乗り出す。
「どうしてなんですか?何か過去に、女性に痛い目に遭わされたことでもあるんですか?」
「いえ、そういう訳ではないと思うのですが。何と言いますか、理解出来ないのだと思います。仕事の話をしたいのに急に言い寄られたり、真面目に話していたはずがいつの間にか結婚がどうのこうのの話になっていたり」
それはまあ、想像がつく。
きっとさっきの女性のような会話の展開が日常茶飯事なのだろう。
「最初はどうにかして上手くあしらおうとしていらっしゃいましたが、ここ最近、特にこの1年は女性に対して拒絶反応を示されるようになってしまいました。どんな相手もシャットアウトして、全く眼中にない感じで」
うんうん、と真里亜は頷く。
「そうなんですよ。私のことも、恐らくお手伝いロボットみたいに思ってるみたいで。住谷さん、いっそのこと、AI秘書にしません?」
は?と住谷が素っ頓狂な声を出す。
「ほら、時代は今AIでしょう?うちの会社だってその分野は得意なんだし。副社長の秘書がAIだなんて、良い宣伝にもなりますよ。開発しませんか?AIの秘書子ちゃん」
しばし瞬きを繰り返したあと、住谷は盛大に笑い始めた。
「ははは!阿部さんって、本当に面白いね」
「どうしてですか?私、大真面目ですよ。だって副社長にとっても、私なんかよりAI秘書子ちゃんの方がいいと思うし」
すると住谷は、急に笑いを収めて真里亜を見つめる。
「阿部さん。実は私は阿部さんに副社長を救っていただきたいと思っているのです」
え?それはどういう…と真里亜は首を傾げた。
「確かに副社長の女性に対する態度は問題があります。ますます酷くなっていくような気もしていました。このままでは阿部さんの言うように、AIの方がいいと思われるかもしれません。ですがそれは困ります。私は副社長に、きちんと人として幸せな人生を送っていただきたいのです。仕事が出来ればそれでいい、という今の考え方では、決して幸せにはなれないと思うからです」
真里亜は、じっと住谷の言葉に耳を傾ける。
「秘書課のメンバーは、全員が無理だと言いました。阿部さん、あなたが最後の砦だと私は思っています。秘書課でもないあなたにこんなことをお願いするのはとても心苦しいのですが、どうか副社長を見捨てないでもらえませんか?」
少し視線を外してから、真里亜は住谷に問いかけた。
「住谷さんは、副社長とはどういう?」
「同級生でした。小学校から大学まで」
「そうだったんですか!じゃあ、子どもの頃の副社長もよくご存知なんですね?」
「ええ。あいつは、あ、いや。副社長は、本当にごくごく普通の明るい少年だったんです。私とも散々バカなことをして笑い合ったり、はしゃいで遊び回ったり」
「へえ、想像つかないです」
「そうですよね。私ですら、今の副社長にはあの頃の面影を感じられません。でも、どうしても諦められないんです。本来の明るい性格を取り戻して欲しいんです。己を犠牲にしてまで仕事をするあいつが、身体と心を壊す前に」
そう言って、ふっと自嘲気味な笑みを浮かべる。
「まあ、これは単なる私のエゴなのでしょうけどね」
「住谷さん…」
ポツリと真里亜が呟くと、住谷は吹っ切れたように顔を上げた。
「すみません、こんなお話をしてしまって。阿部さんにまで重荷を背負わせるようなことを言ってしまいましたね。どうか忘れて下さい」
それでは、と住谷はいつもの優しい笑顔を浮かべてから去って行った。
一人になったエレベーターの中で、真里亜は思わず大声で叫ぶ。
あれから、あのお客様とエレベーターで二人きりになり、エントランスに迎えに来た車まで見送ったのだが、なんともまあ恐ろしい雰囲気だった。
深々と頭を下げ、車が見えなくなると、真里亜はくるりと向きを変えてスタスタとエレベーターに乗り込んだ。
「副社長めー、私をいいように利用して!」
地団駄を踏みそうになるが、エレベーターが揺れて慌ててやめた。
「あー、もうだめだ!あの部屋には戻りたくない!」
確かこの後のスケジュールは、17時まで入っていなかったはず。
思いがけずお客様のお帰りが早くなったこともあり、しばらくは時間がある。
真里亜は副社長室のある最上階ではなく、1つ下の階でエレベーターを降りた。
廊下を進み、吹き抜けの空間が広がるアトリウムラウンジまで行くと、窓の外を眺めながらコーヒーを飲む。
外には青空が広がり、時の流れもゆったりと感じられ、真里亜はようやく気持ちが落ち着いてきた。
ふう…と深呼吸した時、おや?と後ろから声がして振り返る。
「珍しいですね、阿部さんがここにいらっしゃるなんて」
「住谷さん!お疲れ様です」
「お疲れ様です。何かありましたか?」
住谷は、エスプレッソマシーンのボタンを押しながら尋ねる。
「うーん、何かあったというか、いつもあるというか…」
煮え切らない返事をする真里亜の向かい側に、いいですか?と断ってから住谷が座った。
「住谷さん。副社長って、血の通った人間なんですか?」
真顔で聞く真里亜に、住谷はゴホッと咳き込む。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫です、失礼」
肩で大きく息をしてから、住谷は顔を上げた。
「阿部さんは、副社長は人間だとは思えないのですか?」
「んー、生物学的には人間なのでしょうけど、単に同じ部類の生命体としか思えません」
せ、生命体…と、住谷は眉間にしわを寄せて笑いを堪えている。
「住谷さんは?副社長のことを同じ人間だと思えるのですか?」
「うーん、そうですね。私から見れば副社長は、手の届かない程優秀で有能な素晴らしい方です」
え?!と真里亜は驚いて目を見開く。
「う、嘘でしょ?私、唯一住谷さんだけは何でも話せる相談相手だと思って頼りにしてたのに…」
もうだめだ、住谷さんとも話が通じない、と呟くと、住谷は苦笑いした。
「でも阿部さんがおっしゃることも分かりますよ。副社長は、女性が相手となると、途端に態度がおかしくなりますからね。秘書課の女性全員が匙を投げるなんて、よほど重症なのでしょう」
「そうですよね!」
真里亜は、グッと身を乗り出す。
「どうしてなんですか?何か過去に、女性に痛い目に遭わされたことでもあるんですか?」
「いえ、そういう訳ではないと思うのですが。何と言いますか、理解出来ないのだと思います。仕事の話をしたいのに急に言い寄られたり、真面目に話していたはずがいつの間にか結婚がどうのこうのの話になっていたり」
それはまあ、想像がつく。
きっとさっきの女性のような会話の展開が日常茶飯事なのだろう。
「最初はどうにかして上手くあしらおうとしていらっしゃいましたが、ここ最近、特にこの1年は女性に対して拒絶反応を示されるようになってしまいました。どんな相手もシャットアウトして、全く眼中にない感じで」
うんうん、と真里亜は頷く。
「そうなんですよ。私のことも、恐らくお手伝いロボットみたいに思ってるみたいで。住谷さん、いっそのこと、AI秘書にしません?」
は?と住谷が素っ頓狂な声を出す。
「ほら、時代は今AIでしょう?うちの会社だってその分野は得意なんだし。副社長の秘書がAIだなんて、良い宣伝にもなりますよ。開発しませんか?AIの秘書子ちゃん」
しばし瞬きを繰り返したあと、住谷は盛大に笑い始めた。
「ははは!阿部さんって、本当に面白いね」
「どうしてですか?私、大真面目ですよ。だって副社長にとっても、私なんかよりAI秘書子ちゃんの方がいいと思うし」
すると住谷は、急に笑いを収めて真里亜を見つめる。
「阿部さん。実は私は阿部さんに副社長を救っていただきたいと思っているのです」
え?それはどういう…と真里亜は首を傾げた。
「確かに副社長の女性に対する態度は問題があります。ますます酷くなっていくような気もしていました。このままでは阿部さんの言うように、AIの方がいいと思われるかもしれません。ですがそれは困ります。私は副社長に、きちんと人として幸せな人生を送っていただきたいのです。仕事が出来ればそれでいい、という今の考え方では、決して幸せにはなれないと思うからです」
真里亜は、じっと住谷の言葉に耳を傾ける。
「秘書課のメンバーは、全員が無理だと言いました。阿部さん、あなたが最後の砦だと私は思っています。秘書課でもないあなたにこんなことをお願いするのはとても心苦しいのですが、どうか副社長を見捨てないでもらえませんか?」
少し視線を外してから、真里亜は住谷に問いかけた。
「住谷さんは、副社長とはどういう?」
「同級生でした。小学校から大学まで」
「そうだったんですか!じゃあ、子どもの頃の副社長もよくご存知なんですね?」
「ええ。あいつは、あ、いや。副社長は、本当にごくごく普通の明るい少年だったんです。私とも散々バカなことをして笑い合ったり、はしゃいで遊び回ったり」
「へえ、想像つかないです」
「そうですよね。私ですら、今の副社長にはあの頃の面影を感じられません。でも、どうしても諦められないんです。本来の明るい性格を取り戻して欲しいんです。己を犠牲にしてまで仕事をするあいつが、身体と心を壊す前に」
そう言って、ふっと自嘲気味な笑みを浮かべる。
「まあ、これは単なる私のエゴなのでしょうけどね」
「住谷さん…」
ポツリと真里亜が呟くと、住谷は吹っ切れたように顔を上げた。
「すみません、こんなお話をしてしまって。阿部さんにまで重荷を背負わせるようなことを言ってしまいましたね。どうか忘れて下さい」
それでは、と住谷はいつもの優しい笑顔を浮かべてから去って行った。