恋は秘密のその先に
「どうぞ」
真里亜が文哉のデスクにコーヒーを置いてから、自分の席に戻って行く。
文哉は顔を上げてその姿を目で追った。
あのあと、郵便物を抱えて真里亜が部屋に入って来ると、それでは失礼いたしますと頭を下げて、住谷が出て行った。
(周りに少し目を向けろ、か)
住谷のセリフを思い出し、文哉はまず真里亜の様子をうかがってみた。
(そう言えば、彼女はいつからここに配属されたんだっけ?確か、この間の企業懇親会にはいたような気がする…)
そう思いながら、淹れてもらったばかりのコーヒーを口にする。
(うん、美味しい)
すぐさまふた口目も口にすると、ふと、こちらを見て微笑んでいる真里亜の視線に気づいた。
目が合うと、真里亜は慌てて笑みを消してうつむく。
(ん?どうしたんだ?)
不思議に思いながらも、美味しくてついコーヒーを半分ほど一気に飲んでしまった。
(コーヒーをこんなに美味しく淹れてくれる秘書も、彼女が初めてなんじゃないか)
そう思いながらパソコンを操作し、秘書課の名簿ファイルを開いてみた。
(彼女は確か…、そうだ、智史が阿部さんって呼んでたな。阿部、阿部…って、ええ?!)
何度も見返してみるが、秘書課のファイルに阿部という名前も、真里亜の顔写真も見当たらない。
(どういうことだ?一体彼女は…)
視線を上げてチラリと真里亜を見る。
パソコンに向かって作業している様子は、特に変わったところはない。
(何者なんだ?いつからここに?)
文哉は意を決して立ち上がると、部屋のドアに向かった。
すると真里亜も立ち上がる。
「え?!」
思わず声を洩らして足を止めると、真里亜も驚いたように目をパチクリさせている。
(そ、そうか。俺が出て行く時は、いつも立ち上がってお辞儀をしてくれていたっけ)
普段気にも留めていなかったことを、改めて認識する。
「あ、えっと…。すぐ戻る」
「はい、かしこまりました」
こんなふうに声をかけるのも、恐らくこれが初めてだ。
というより、なぜ今までそうしなかったんだ?
そんなことを思いつつ、部屋を出て廊下の端まで来ると住谷に電話をかける。
プライベートの番号にかけたせいか、住谷は意外そうな声で電話口に出た。
「お?どうした、仕事中に。サボりか?」
「違うんだ!聞いてくれ、智史」
「ん?なんだ、どうした?」
切羽詰まった文哉の口調に、住谷も声を潜める。
「あのな、お前に言われて、俺も秘書にもっと目を向けようと思ったんだ。そしたらさ…」
「うん、どうした?」
「彼女、存在しないんだよ!」
…は?と、住谷のひっくり返った声がした。
「お前、何を言ってるんだ?」
「だから、いないんだよ!秘書課にあの子は存在しない。何度も名簿を確認したけど、阿部って名前もなければ、顔写真もない。智史、もしかして彼女は…」
ゴクリと唾を飲み込んでから、文哉は声を落として訴えた。
「産業スパイかもしれない」
シーン…と電話の向こうが静まり返る。
それもそうだろう、自分だって信じ難い。
だが、そうとしか考えられない。
するといきなり、住谷の大きな笑い声が耳元で響いた。
「あっははは!お前、おもしれーな。最高に笑える。ははは!」
「ちょっ…智史!何がおかしいんだ。笑ってる場合か?名簿に存在しない人物が、副社長秘書なんて…。会社の一大事じゃないか」
「そうだよなあ。そりゃ、一大事だ。てーへんだー!」
「どうするんだよ!もしかしたら、既に重要な情報を流されてるかもしれないんだぞ?」
「うわー、それはいかんな。副社長!何か手を打ってくださいよ」
「それはもちろんそうするが。お前も手伝ってくれよ?何か分かったらすぐに知らせてくれ」
「御意!」
「頼むぞ、おい」
「お任せくだされ!」
電話を切ったあとも、しばらく住谷は笑い続けていた。
真里亜が文哉のデスクにコーヒーを置いてから、自分の席に戻って行く。
文哉は顔を上げてその姿を目で追った。
あのあと、郵便物を抱えて真里亜が部屋に入って来ると、それでは失礼いたしますと頭を下げて、住谷が出て行った。
(周りに少し目を向けろ、か)
住谷のセリフを思い出し、文哉はまず真里亜の様子をうかがってみた。
(そう言えば、彼女はいつからここに配属されたんだっけ?確か、この間の企業懇親会にはいたような気がする…)
そう思いながら、淹れてもらったばかりのコーヒーを口にする。
(うん、美味しい)
すぐさまふた口目も口にすると、ふと、こちらを見て微笑んでいる真里亜の視線に気づいた。
目が合うと、真里亜は慌てて笑みを消してうつむく。
(ん?どうしたんだ?)
不思議に思いながらも、美味しくてついコーヒーを半分ほど一気に飲んでしまった。
(コーヒーをこんなに美味しく淹れてくれる秘書も、彼女が初めてなんじゃないか)
そう思いながらパソコンを操作し、秘書課の名簿ファイルを開いてみた。
(彼女は確か…、そうだ、智史が阿部さんって呼んでたな。阿部、阿部…って、ええ?!)
何度も見返してみるが、秘書課のファイルに阿部という名前も、真里亜の顔写真も見当たらない。
(どういうことだ?一体彼女は…)
視線を上げてチラリと真里亜を見る。
パソコンに向かって作業している様子は、特に変わったところはない。
(何者なんだ?いつからここに?)
文哉は意を決して立ち上がると、部屋のドアに向かった。
すると真里亜も立ち上がる。
「え?!」
思わず声を洩らして足を止めると、真里亜も驚いたように目をパチクリさせている。
(そ、そうか。俺が出て行く時は、いつも立ち上がってお辞儀をしてくれていたっけ)
普段気にも留めていなかったことを、改めて認識する。
「あ、えっと…。すぐ戻る」
「はい、かしこまりました」
こんなふうに声をかけるのも、恐らくこれが初めてだ。
というより、なぜ今までそうしなかったんだ?
そんなことを思いつつ、部屋を出て廊下の端まで来ると住谷に電話をかける。
プライベートの番号にかけたせいか、住谷は意外そうな声で電話口に出た。
「お?どうした、仕事中に。サボりか?」
「違うんだ!聞いてくれ、智史」
「ん?なんだ、どうした?」
切羽詰まった文哉の口調に、住谷も声を潜める。
「あのな、お前に言われて、俺も秘書にもっと目を向けようと思ったんだ。そしたらさ…」
「うん、どうした?」
「彼女、存在しないんだよ!」
…は?と、住谷のひっくり返った声がした。
「お前、何を言ってるんだ?」
「だから、いないんだよ!秘書課にあの子は存在しない。何度も名簿を確認したけど、阿部って名前もなければ、顔写真もない。智史、もしかして彼女は…」
ゴクリと唾を飲み込んでから、文哉は声を落として訴えた。
「産業スパイかもしれない」
シーン…と電話の向こうが静まり返る。
それもそうだろう、自分だって信じ難い。
だが、そうとしか考えられない。
するといきなり、住谷の大きな笑い声が耳元で響いた。
「あっははは!お前、おもしれーな。最高に笑える。ははは!」
「ちょっ…智史!何がおかしいんだ。笑ってる場合か?名簿に存在しない人物が、副社長秘書なんて…。会社の一大事じゃないか」
「そうだよなあ。そりゃ、一大事だ。てーへんだー!」
「どうするんだよ!もしかしたら、既に重要な情報を流されてるかもしれないんだぞ?」
「うわー、それはいかんな。副社長!何か手を打ってくださいよ」
「それはもちろんそうするが。お前も手伝ってくれよ?何か分かったらすぐに知らせてくれ」
「御意!」
「頼むぞ、おい」
「お任せくだされ!」
電話を切ったあとも、しばらく住谷は笑い続けていた。