捨てられ「無能」王女なのに冷酷皇帝が別れてくれません!~役立たずなので離婚を所望したはずが、気付けば溺愛が始まっていました~
事の始まりは、三カ月前に遡る。
「嫌よ、絶対に嫌!」
ヴィルヘイム王国の王宮に絶叫が響き渡る。若き王である異母兄によって謁見の間に呼ばれたフィリアは、異母妹のレイラが癇癪を起こしたように拒否を示すのを、居心地悪く眺めていた。
「野蛮なアレンディア帝国の皇帝に嫁ぐなんて、死んでもごめんだわ!」
意志の強そうなバターブロンドを逆立てて、レイラは怒る。彼女が声を荒らげているのには理由があった。
国民全員が火、土、風、水の四大元素を基本とした魔力を操るアレンディア帝国と、癒しと破魔の効力を持つ神聖力を宿したヴィルヘイム王国。この特異な属性を持つ隣国同士は、大陸の覇権をかけて長年牽制し合い、険悪ながらもギリギリの均衡を保っていた。
しかし最近になって、それを崩したのはヴィルヘイムの方だ。
魔石には魔力が宿っており、加工すればただの人間でも魔法が扱える。魔力を持たぬヴィルヘイムはアレンディアの鉱山で採れる魔石欲しさに領土を侵害し、その土地に住む民を襲撃。けれど計画は失敗に終わって、アレンディアの怒りを買った。倫理に反する行為に国際社会からも非難を浴びたヴィルヘイムの分は悪い。
当然、かの国からの報復をきっかけに、開戦の火蓋が切られてもおかしくはなかった。が、好戦的で残忍だと噂のアレンディアが選択したのはまさかの和睦で。
「お兄様の弱虫! アレンディアなんて、これを機に開戦して滅ぼしちゃえばいいじゃない……!!」
レイラの喚き声が、謁見の間に反響する。
ヴィルヘイムの王妹を妻に差しだすこと。これが和平協定を結ぶために、アレンディアが提示した条件だった。
気性の荒いレイラは簡単に戦争すればいいと言うけれど、そうなれば街は火の海になる。その時、真っ先に犠牲となるのは国民だ。
(それに、戦争になれば今のヴィルヘイムに味方する国はないわ)
侵略行為によって失墜した各国からの信用を取り戻すためにも、我が国がこの提案を蹴るわけにはいかないとフィリアは理解している。だが……。
宝石がいくつもついたドレスを着た派手な異母妹と、着古されて色の褪せたドレスを纏うみすぼらしい自分を、フィリアは透き通った金色の瞳で見比べる。
(この国には王妹が二人いる。十七歳のレイラと……十八歳の私。年齢的にどちらも結婚適齢期となれば、きっと人質に選ばれるのは……)
「レ、レイラ。落ちつけ。まだお前が嫁ぐと決まったわけじゃないんだ」
玉座にかけた異母兄のユーリは、王の威厳などあったものではない。気弱でいかにも頼りなさそうな彼は、気炎を上げているレイラを宥める。それでもまだ彼女が興奮し続けていると、玉座の隣に立っていた苛烈な印象の女性が声を発した。
娘のレイラと同じく、目が覚めるような金髪と紅の瞳が美しい王太后のエリアーデである。
「そうよ。落ちついて、私の可愛い子。第二王女とはいえ、この国で一番神聖力が高く高貴な血筋のレイラが、荒々しい蛮族の長と結婚する必要はないわ。そういうのは」
持っていた扇子をパチンと閉じたエリアーデは、呆然と成り行きを見守っていたフィリア目がけてそれを投げつける。
「い……っ」
扇子の角が目尻に当たり、フィリアは短く呻いた。
「ごく潰しの姉に任せればいいのよ。――――ねえ、フィリア?」
背筋が粟立つような猫撫で声で問われ、フィリアは目元を押さえながら身を硬くする。同時に、やっぱりこうなるのだという諦めにも似た感情が浮かんだ。
(謁見の間に、レイラと王太后様と一緒に呼ばれた時から嫌な予感はしていたけれど……)
頬にかげるほど長い睫毛を伏せたフィリアに、エリアーデは冷たく続ける。
「お前が嫁ぎなさい、フィリア。第一王女でありながら著しく神聖力の低いお前が、ようやく国のために役に立つ時が来たのよ。光栄に思いなさいね」
そこにフィリアの意思は必要ないと言わんばかりだ。道具を扱うように決められるのはいつものことだった。
「先王陛下亡き後も、身分の卑(いや)しい使用人の母を持つお前を王宮に留めてやった恩を、ここで私に返してちょうだい」
そう囁くエリアーデとフィリアの血は繋がっていない。美しく気立てもよいと評判の使用人を見初めて先王が生ませた子が、フィリアだからだ。母は身分が低いながらも側(そく)妃(ひ)に据えられたが、それをよく思わないのが当時の正妃であるエリアーデだった。
公爵家の出で、立場の強い彼女は、世継ぎとなるユーリを生んで数年後に神聖力の強いレイラを生んでも、フィリアの母を、彼女が事故で亡くなるまで執拗にいびり続けていた。
そして、唯一の後ろ盾であった先王陛下が母の後を追うように亡くなった後はフィリアのことも同様に。
フィリアは織の細かい絨毯を見下ろす。上質なそれには点々と鮮血が散っている。エリアーデに投げられた扇子のせいで、どうやら瞼を切ったようだ。
それでも心配の声を上げる者は、広間には一人もいない。
フィリアがこれまでの散々な生活を思い返していると、レイラは耳元の眩いピアスを揺らし、弾んだ声で言った。
「私ったら、お姉様の存在を忘れちゃっていたわ。だってお姉様ったら、教養もなければ見た目も貧相で、全然王族っぽくないんだもの」
さっきまでの不機嫌はどこへやら、レイラはニタニタと嫌な笑みを口元に刻む。
容貌にレイラのような華やかさはないにしても、フィリアの服装が粗末なのは王太后と異母妹が綺麗なドレスを与えないせいなのに、随分な物言いだ。
けれどこんな性悪な発言にも、フィリアはもう慣れている。
(石のように感情を殺そう。露骨に傷ついた顔をすれば、レイラを喜ばせるだけだわ)
心を殺すことに慣れたフィリアに、命令することが板についたレイラは甘えた声で言う。
「ねぇお姉様。お母様の言う通り、アレンディアには無能なお姉様が嫁いで? 国で一番の神聖力を持つ私と役立たずなお姉様、どちらに価値があるか、さすがに学のないお姉様でも分かるでしょう? ね?」
「私……」
フィリアが話すのを遮り、王太后は鼻にしわを寄せて罵る。
「出来損ないは返事も遅いのねぇ。躾が足りなかったかしら。フィリア、返事は『はい』か『かしこまりました』でしょう? また独房で反省させられたい?」
「……っいえ」
(せめて……)
せめて神聖力が高ければもう少し大切に扱われたかもしれないが、フィリアの力は国民の平均を大きく下回っている。それ故に臣下たちからも軽んじられ、王太后と異母妹からは日々言葉でなじられ、事あるごとに食事を抜かれ、躾と称して暗闇に閉じこめられるような生活を送ってきた。
だから、そんなフィリアに許された返事は一つしかない。
「はい……、喜んで」
切れた目元を押さえたまま無理やり口角を上げ、歪んだ微笑みを浮かべる。するとレイラは、仰々しくフィリアを抱きしめてきた。
「まあ! 嬉しい! お姉様ならそう言ってくれると思ってたわ! いつもその気持ち悪い笑顔で、私のお願いに応えてくれるものね?」
そのまま耳元に唇を寄せた異母妹は、砂糖を煮詰めたように甘い声で囁く。
「でも、その笑顔もいつまで続くかしら? 会ったことはないけれど、アレンディアの皇帝っていったら、まだ二十二歳と若いのに冷酷無情で血も涙もないと噂だもの。戦場では目に映るすべてを魔法で灰に代えるとか。お姉様も、機嫌を損ねて燃やされないよう気をつけて? ああ、それとも剣で切り捨てられるかしら? どうしましょう。生きているお姉様を見られるのは、あと少しかもしれないわね?」
フィリアはイエローサファイアを彷彿とさせる瞳を揺らす。命の危険をちらつかされてさすがに動揺を隠せずにいると、レイラは酷薄そうな口の端を吊りあげてせせら笑った。
「この国のために、さっさと失せてよ」と。
「嫌よ、絶対に嫌!」
ヴィルヘイム王国の王宮に絶叫が響き渡る。若き王である異母兄によって謁見の間に呼ばれたフィリアは、異母妹のレイラが癇癪を起こしたように拒否を示すのを、居心地悪く眺めていた。
「野蛮なアレンディア帝国の皇帝に嫁ぐなんて、死んでもごめんだわ!」
意志の強そうなバターブロンドを逆立てて、レイラは怒る。彼女が声を荒らげているのには理由があった。
国民全員が火、土、風、水の四大元素を基本とした魔力を操るアレンディア帝国と、癒しと破魔の効力を持つ神聖力を宿したヴィルヘイム王国。この特異な属性を持つ隣国同士は、大陸の覇権をかけて長年牽制し合い、険悪ながらもギリギリの均衡を保っていた。
しかし最近になって、それを崩したのはヴィルヘイムの方だ。
魔石には魔力が宿っており、加工すればただの人間でも魔法が扱える。魔力を持たぬヴィルヘイムはアレンディアの鉱山で採れる魔石欲しさに領土を侵害し、その土地に住む民を襲撃。けれど計画は失敗に終わって、アレンディアの怒りを買った。倫理に反する行為に国際社会からも非難を浴びたヴィルヘイムの分は悪い。
当然、かの国からの報復をきっかけに、開戦の火蓋が切られてもおかしくはなかった。が、好戦的で残忍だと噂のアレンディアが選択したのはまさかの和睦で。
「お兄様の弱虫! アレンディアなんて、これを機に開戦して滅ぼしちゃえばいいじゃない……!!」
レイラの喚き声が、謁見の間に反響する。
ヴィルヘイムの王妹を妻に差しだすこと。これが和平協定を結ぶために、アレンディアが提示した条件だった。
気性の荒いレイラは簡単に戦争すればいいと言うけれど、そうなれば街は火の海になる。その時、真っ先に犠牲となるのは国民だ。
(それに、戦争になれば今のヴィルヘイムに味方する国はないわ)
侵略行為によって失墜した各国からの信用を取り戻すためにも、我が国がこの提案を蹴るわけにはいかないとフィリアは理解している。だが……。
宝石がいくつもついたドレスを着た派手な異母妹と、着古されて色の褪せたドレスを纏うみすぼらしい自分を、フィリアは透き通った金色の瞳で見比べる。
(この国には王妹が二人いる。十七歳のレイラと……十八歳の私。年齢的にどちらも結婚適齢期となれば、きっと人質に選ばれるのは……)
「レ、レイラ。落ちつけ。まだお前が嫁ぐと決まったわけじゃないんだ」
玉座にかけた異母兄のユーリは、王の威厳などあったものではない。気弱でいかにも頼りなさそうな彼は、気炎を上げているレイラを宥める。それでもまだ彼女が興奮し続けていると、玉座の隣に立っていた苛烈な印象の女性が声を発した。
娘のレイラと同じく、目が覚めるような金髪と紅の瞳が美しい王太后のエリアーデである。
「そうよ。落ちついて、私の可愛い子。第二王女とはいえ、この国で一番神聖力が高く高貴な血筋のレイラが、荒々しい蛮族の長と結婚する必要はないわ。そういうのは」
持っていた扇子をパチンと閉じたエリアーデは、呆然と成り行きを見守っていたフィリア目がけてそれを投げつける。
「い……っ」
扇子の角が目尻に当たり、フィリアは短く呻いた。
「ごく潰しの姉に任せればいいのよ。――――ねえ、フィリア?」
背筋が粟立つような猫撫で声で問われ、フィリアは目元を押さえながら身を硬くする。同時に、やっぱりこうなるのだという諦めにも似た感情が浮かんだ。
(謁見の間に、レイラと王太后様と一緒に呼ばれた時から嫌な予感はしていたけれど……)
頬にかげるほど長い睫毛を伏せたフィリアに、エリアーデは冷たく続ける。
「お前が嫁ぎなさい、フィリア。第一王女でありながら著しく神聖力の低いお前が、ようやく国のために役に立つ時が来たのよ。光栄に思いなさいね」
そこにフィリアの意思は必要ないと言わんばかりだ。道具を扱うように決められるのはいつものことだった。
「先王陛下亡き後も、身分の卑(いや)しい使用人の母を持つお前を王宮に留めてやった恩を、ここで私に返してちょうだい」
そう囁くエリアーデとフィリアの血は繋がっていない。美しく気立てもよいと評判の使用人を見初めて先王が生ませた子が、フィリアだからだ。母は身分が低いながらも側(そく)妃(ひ)に据えられたが、それをよく思わないのが当時の正妃であるエリアーデだった。
公爵家の出で、立場の強い彼女は、世継ぎとなるユーリを生んで数年後に神聖力の強いレイラを生んでも、フィリアの母を、彼女が事故で亡くなるまで執拗にいびり続けていた。
そして、唯一の後ろ盾であった先王陛下が母の後を追うように亡くなった後はフィリアのことも同様に。
フィリアは織の細かい絨毯を見下ろす。上質なそれには点々と鮮血が散っている。エリアーデに投げられた扇子のせいで、どうやら瞼を切ったようだ。
それでも心配の声を上げる者は、広間には一人もいない。
フィリアがこれまでの散々な生活を思い返していると、レイラは耳元の眩いピアスを揺らし、弾んだ声で言った。
「私ったら、お姉様の存在を忘れちゃっていたわ。だってお姉様ったら、教養もなければ見た目も貧相で、全然王族っぽくないんだもの」
さっきまでの不機嫌はどこへやら、レイラはニタニタと嫌な笑みを口元に刻む。
容貌にレイラのような華やかさはないにしても、フィリアの服装が粗末なのは王太后と異母妹が綺麗なドレスを与えないせいなのに、随分な物言いだ。
けれどこんな性悪な発言にも、フィリアはもう慣れている。
(石のように感情を殺そう。露骨に傷ついた顔をすれば、レイラを喜ばせるだけだわ)
心を殺すことに慣れたフィリアに、命令することが板についたレイラは甘えた声で言う。
「ねぇお姉様。お母様の言う通り、アレンディアには無能なお姉様が嫁いで? 国で一番の神聖力を持つ私と役立たずなお姉様、どちらに価値があるか、さすがに学のないお姉様でも分かるでしょう? ね?」
「私……」
フィリアが話すのを遮り、王太后は鼻にしわを寄せて罵る。
「出来損ないは返事も遅いのねぇ。躾が足りなかったかしら。フィリア、返事は『はい』か『かしこまりました』でしょう? また独房で反省させられたい?」
「……っいえ」
(せめて……)
せめて神聖力が高ければもう少し大切に扱われたかもしれないが、フィリアの力は国民の平均を大きく下回っている。それ故に臣下たちからも軽んじられ、王太后と異母妹からは日々言葉でなじられ、事あるごとに食事を抜かれ、躾と称して暗闇に閉じこめられるような生活を送ってきた。
だから、そんなフィリアに許された返事は一つしかない。
「はい……、喜んで」
切れた目元を押さえたまま無理やり口角を上げ、歪んだ微笑みを浮かべる。するとレイラは、仰々しくフィリアを抱きしめてきた。
「まあ! 嬉しい! お姉様ならそう言ってくれると思ってたわ! いつもその気持ち悪い笑顔で、私のお願いに応えてくれるものね?」
そのまま耳元に唇を寄せた異母妹は、砂糖を煮詰めたように甘い声で囁く。
「でも、その笑顔もいつまで続くかしら? 会ったことはないけれど、アレンディアの皇帝っていったら、まだ二十二歳と若いのに冷酷無情で血も涙もないと噂だもの。戦場では目に映るすべてを魔法で灰に代えるとか。お姉様も、機嫌を損ねて燃やされないよう気をつけて? ああ、それとも剣で切り捨てられるかしら? どうしましょう。生きているお姉様を見られるのは、あと少しかもしれないわね?」
フィリアはイエローサファイアを彷彿とさせる瞳を揺らす。命の危険をちらつかされてさすがに動揺を隠せずにいると、レイラは酷薄そうな口の端を吊りあげてせせら笑った。
「この国のために、さっさと失せてよ」と。