捨てられ「無能」王女なのに冷酷皇帝が別れてくれません!~役立たずなので離婚を所望したはずが、気付けば溺愛が始まっていました~
フィリアをいびる二人が退室すると、ユーリはおもむろに口を開いた。
「すまない。フィリア」
「お兄様のせいではありませんわ」
フィリアは無理やり笑顔を作って否定する。
ユーリはエリアーデの実子だが、父である先王は彼が幼い頃に心不全で亡くなったため、成人するまで彼女に摂政として政治の実権を握られていた。そのせいで、今も政治については母親に意見を仰ぐことが多く、強く出られない。
(そもそもアレンディアの鉱山を侵害したのも、王太后様のご指示という話だわ)
妹であるレイラの方がユーリより神聖力が高いこともあり、力の強さが発言権と比例するこの国で、彼はすっかり母と妹の操り人形となっていた。
だからそんな異母兄が、これまでフィリアに助け舟を出してくれたことは一度もなく。
ただ申し訳なさそうに謝るだけ。身分の低い母親から生まれ、神聖力が低いという理由で王宮内の使用人にも遠巻きにされていた身としては、それだけでも慰め程度にはなったけれど。
「亡くなった母が愛した、この国のためですから」
自身を納得させるように、フィリアは呟く。
(そうよ、戦争を起こすわけにはいかないもの。私一人が嫁ぐことでそれを回避できるなら、安い代償だわ。……誰にも、大切な誰かを失う悲しみを味わってほしくはない)
フィリアの脳裏には、事切れて冷たくなった母の姿が過る。
幸せな記憶は、花びらほど小さなものしかない。遠い昔、大好きな母に愛情を注がれた記憶だけ。フィリアが七歳の時に亡くなった母は春風のように優しく、たおやかな人だった。同時に、揺らぐことのない芯の強さも持ち合わせた人で。
幼いながらに、側妃である母の立場が弱く、エリアーデから嫌がらせを受けていることを薄々理解していたフィリアは、辛くないのかと問うたことがある。すると母はキョトンとした後で、おかしそうに笑ったのだ。
『平気よ。だって俯いてメソメソしていたら、幸せに気付けないでしょう? ――――そうだ、フィリア、お母様と約束して。いつだって前を向いて笑顔でいるって。幸せが訪れた時に、気付けるように』
それは母が、事故に遭う前の晩に残した言葉でもあった。その言葉は、いつもフィリアを勇気づけてくれる。
だからいつも、微笑んでいたい。亡くなった母のように、困難な時でも気丈に凛と胸を張っていたい。母を亡くした絶望に比べたら、異母妹たちにいびられることなんてかすり傷みたいなものだ。きっと、冷酷無情と噂されるアレンディアの皇帝に嫁ぐことも耐えられるはず。
(大丈夫です、お母様。どんな時でも、笑顔を忘れずにいますから)
「アレンディアの皇帝は、ヴィルヘイムの侵略行為を和睦によって許してくださる寛大な方です。和平協定を結んだ国の王妹を手にかけたりはしないはず。そうでしょう?」
本音は、そうであってほしいという願望だが。王宮から一歩も出たことのないフィリアは、レイラや使用人たちが仕入れてきた情報でしかアレンディアの皇帝について知らない。
そして彼女らに聞くかの人の噂は、冷血で野蛮だというものばかりだった。
それでも、フィリアは作り笑いを崩さない。笑顔を解いたら、胸に巣くう恐怖が表に出て立っていられないと思ったから。
「……お前はどんな時でも笑ってるな、フィリア。絶望はしていないのか?」
ユーリは少しばかり無神経だと思う。血を分けた妹の強がりを見抜けないその鈍さに、フィリアは苦い気持ちを堪えた。
「しません。いつだって笑顔を忘れずにいると、亡き母と約束しましたから」
フィリアは背筋を伸ばし、努めて明るい声で言う。不安な本音は、胸の奥に鍵をかけて仕舞った。
◆◆◆
そんな出来事があってから三カ月後。雪が解け、花の蕾が膨らみ始めた季節の黄昏時に、フィリアはアレンディア帝国で結婚式を迎えていた。
結婚が決まってこの方、カイゼルには一度も会ってすらいない。式の前にも挨拶をする機会は得られなかったので、本当に式場の大聖堂で初めて顔を合わせることになる。
(恐ろしい方だと噂されているけれど、和睦を選んでくださった方だもの。せっかく夫婦になるのだから、良好な関係を築きたいわ)
そんな僅かな希望を抱いて、フィリアは前を向く。
片側に編み下ろされた藤色の髪には、白いアネモネやユーカリ、淡くくすんだ色味のアジサイやかすみ草が飾られている。緊張で冷えきった肩がむきだしのウェディングドレスは、繊細なレースがあしらわれて波のように美しい。
馬車を降りて、誘導されるまま大聖堂の階段を上る。内側から開いた扉の先には、赤い絨毯が真っすぐ延びていた。頭に被せられたベール越しに見える両脇には、両国の貴賓が並んでいる。
確かカイゼルの両親である先帝は、早くに亡くなったはずだ。母である皇太后もカイゼルが即位してほどなく病を患い、身罷ったと聞いている。そのため、アレンディア側の席には忠臣ばかりが並んでいた。
エリアーデに暗い牢に閉じこめられることが多かったせいで視力に自信のないフィリアは、目を眇めてユーリや彼の側近、それから大臣を視認する。
(王太后様とレイラが参列していないのは救いかしら。委縮せずに済むもの)
とはいえ来賓からの穴が空きそうな視線を辛く感じながら、フィリアは一歩を踏みだす。緊張で胃がひっくり返りそうだったが、それを一瞬忘れるくらい、夕暮れ時の大聖堂は得も言われぬ美しさがあった。
紫と橙が溶けあった空には星が瞬き、細い三日月が窓越しにフィリアを見下ろしている。オーケストラによって荘厳な音楽が鳴り響く中、フィリアは長いトレーンを引きずって祭壇に向かった。
そして圧倒される。そこに立つ花婿の美しさに。
(……この方が……カイゼル・アレンディア様……?)
「すまない。フィリア」
「お兄様のせいではありませんわ」
フィリアは無理やり笑顔を作って否定する。
ユーリはエリアーデの実子だが、父である先王は彼が幼い頃に心不全で亡くなったため、成人するまで彼女に摂政として政治の実権を握られていた。そのせいで、今も政治については母親に意見を仰ぐことが多く、強く出られない。
(そもそもアレンディアの鉱山を侵害したのも、王太后様のご指示という話だわ)
妹であるレイラの方がユーリより神聖力が高いこともあり、力の強さが発言権と比例するこの国で、彼はすっかり母と妹の操り人形となっていた。
だからそんな異母兄が、これまでフィリアに助け舟を出してくれたことは一度もなく。
ただ申し訳なさそうに謝るだけ。身分の低い母親から生まれ、神聖力が低いという理由で王宮内の使用人にも遠巻きにされていた身としては、それだけでも慰め程度にはなったけれど。
「亡くなった母が愛した、この国のためですから」
自身を納得させるように、フィリアは呟く。
(そうよ、戦争を起こすわけにはいかないもの。私一人が嫁ぐことでそれを回避できるなら、安い代償だわ。……誰にも、大切な誰かを失う悲しみを味わってほしくはない)
フィリアの脳裏には、事切れて冷たくなった母の姿が過る。
幸せな記憶は、花びらほど小さなものしかない。遠い昔、大好きな母に愛情を注がれた記憶だけ。フィリアが七歳の時に亡くなった母は春風のように優しく、たおやかな人だった。同時に、揺らぐことのない芯の強さも持ち合わせた人で。
幼いながらに、側妃である母の立場が弱く、エリアーデから嫌がらせを受けていることを薄々理解していたフィリアは、辛くないのかと問うたことがある。すると母はキョトンとした後で、おかしそうに笑ったのだ。
『平気よ。だって俯いてメソメソしていたら、幸せに気付けないでしょう? ――――そうだ、フィリア、お母様と約束して。いつだって前を向いて笑顔でいるって。幸せが訪れた時に、気付けるように』
それは母が、事故に遭う前の晩に残した言葉でもあった。その言葉は、いつもフィリアを勇気づけてくれる。
だからいつも、微笑んでいたい。亡くなった母のように、困難な時でも気丈に凛と胸を張っていたい。母を亡くした絶望に比べたら、異母妹たちにいびられることなんてかすり傷みたいなものだ。きっと、冷酷無情と噂されるアレンディアの皇帝に嫁ぐことも耐えられるはず。
(大丈夫です、お母様。どんな時でも、笑顔を忘れずにいますから)
「アレンディアの皇帝は、ヴィルヘイムの侵略行為を和睦によって許してくださる寛大な方です。和平協定を結んだ国の王妹を手にかけたりはしないはず。そうでしょう?」
本音は、そうであってほしいという願望だが。王宮から一歩も出たことのないフィリアは、レイラや使用人たちが仕入れてきた情報でしかアレンディアの皇帝について知らない。
そして彼女らに聞くかの人の噂は、冷血で野蛮だというものばかりだった。
それでも、フィリアは作り笑いを崩さない。笑顔を解いたら、胸に巣くう恐怖が表に出て立っていられないと思ったから。
「……お前はどんな時でも笑ってるな、フィリア。絶望はしていないのか?」
ユーリは少しばかり無神経だと思う。血を分けた妹の強がりを見抜けないその鈍さに、フィリアは苦い気持ちを堪えた。
「しません。いつだって笑顔を忘れずにいると、亡き母と約束しましたから」
フィリアは背筋を伸ばし、努めて明るい声で言う。不安な本音は、胸の奥に鍵をかけて仕舞った。
◆◆◆
そんな出来事があってから三カ月後。雪が解け、花の蕾が膨らみ始めた季節の黄昏時に、フィリアはアレンディア帝国で結婚式を迎えていた。
結婚が決まってこの方、カイゼルには一度も会ってすらいない。式の前にも挨拶をする機会は得られなかったので、本当に式場の大聖堂で初めて顔を合わせることになる。
(恐ろしい方だと噂されているけれど、和睦を選んでくださった方だもの。せっかく夫婦になるのだから、良好な関係を築きたいわ)
そんな僅かな希望を抱いて、フィリアは前を向く。
片側に編み下ろされた藤色の髪には、白いアネモネやユーカリ、淡くくすんだ色味のアジサイやかすみ草が飾られている。緊張で冷えきった肩がむきだしのウェディングドレスは、繊細なレースがあしらわれて波のように美しい。
馬車を降りて、誘導されるまま大聖堂の階段を上る。内側から開いた扉の先には、赤い絨毯が真っすぐ延びていた。頭に被せられたベール越しに見える両脇には、両国の貴賓が並んでいる。
確かカイゼルの両親である先帝は、早くに亡くなったはずだ。母である皇太后もカイゼルが即位してほどなく病を患い、身罷ったと聞いている。そのため、アレンディア側の席には忠臣ばかりが並んでいた。
エリアーデに暗い牢に閉じこめられることが多かったせいで視力に自信のないフィリアは、目を眇めてユーリや彼の側近、それから大臣を視認する。
(王太后様とレイラが参列していないのは救いかしら。委縮せずに済むもの)
とはいえ来賓からの穴が空きそうな視線を辛く感じながら、フィリアは一歩を踏みだす。緊張で胃がひっくり返りそうだったが、それを一瞬忘れるくらい、夕暮れ時の大聖堂は得も言われぬ美しさがあった。
紫と橙が溶けあった空には星が瞬き、細い三日月が窓越しにフィリアを見下ろしている。オーケストラによって荘厳な音楽が鳴り響く中、フィリアは長いトレーンを引きずって祭壇に向かった。
そして圧倒される。そこに立つ花婿の美しさに。
(……この方が……カイゼル・アレンディア様……?)