伯爵令嬢のユスティーナは「無口で不愛想な氷の貴公子様」の婚約者を続けることにした
 その日の夜、セヴェリ様は私から離れようとしなくて、どこに行くのにもぴったりとくっついていた。

 就寝時間を迎えると、珍しく駄々をこねて、寝台に近づこうとしない。

「いやです。ユスティーナお姉様とお別れしたくない」
「セヴェリ様……」

 昼間にドラゴンから聞かされた話の意味を分かっているのだろう。

 明日には大人のセヴェリ様に戻るから、今の自分が消えてしまうのではないかと、不安を抱えているのが見て取れる。

 いくら絵本を読んでも、お話をしても、ずっと泣きそうな顔をしているのだ。

「お別れではありませんわ。セヴェリ様が大人になっても、私は側に居ますから」

 明日になればどうなってしまうのか、私もわからない。

 セヴェリ様は子どもに戻った時のことを覚えているのだろうか。
 それとも、すっかり忘れてしまっているのだろうか。

 いずれにせよ、今目の前に居るセヴェリ様とはもう会えないのだ。
 私を「ユスティーナお姉様」と呼び懐いてくれている、この小さな天使とは、お別れすることになる。

「……うん。ユスティーナお姉様、大好き」

 初めて会った時から、純粋で優しい愛情をいっぱいくれた、小さな貴公子様。

 子どものセヴェリ様のおかげで、大人のセヴェリ様と向き合う決心がついた。

「私も、セヴェリ様のことが大好きですよ」

 その一言で、ふにゃりと嬉しそうに微笑んでくれる。
 天使のようなセヴェリ様の、柔らかな頬にキスをした。

 祈りと、謝罪と、そして、愛情を込めて。

「僕が眠るまで、手を握っていてくれますか?」
「ええ、もちろんですよ」

 そっと伸ばされた小さな手を握る。

 握り返してくれるその手の切実さに、胸がツキンと痛んだ。

 目の前に居るセヴェリ様はもっと一緒に居たいと思ってくれているのに、私たち大人の都合で、それを叶えてあげられないから。

「あのね、ユスティーナお姉様の夜空のような色の髪を見る度に、とても幸せな気持ちになるんです」
「嬉しいです。私はね、セヴェリ様の銀色の髪を見る度に、素敵な絵画を見ているような気持ちになりますよ」
 
 やはり不安なのだろう。
 眠りたくないようで、懸命に話しかけてくれる。
 
「絵本を読んでくれる声も好きです。ユスティーナお姉様の声を聞いていると、心が温かくなります――」

 銀色の睫毛に縁どられた瞼が、ゆっくりと閉じてゆく。

「――大人の僕も、大好きで……いてください……」

 それっきり、セヴェリ様は寝息を立てて眠ってしまった。

 静かな夜。
 穏やかな夜。

 窓の外は真っ暗で。
 昼間は晴れていたのに、今は霧雨が降っている。

 初めてセヴェリ様と出会った時のように、みずみずしい空気と湿った土の匂いが私たちを包む。

「セヴェリ様が考えているよりもずっと、セヴェリ様のことが大好きになっていますから、不安にならないでください」

 子どものセヴェリ様を通して、本当の姿を見せてくれたから。

 私の婚約者はきっと、無口で不愛想ではない。
 ただ、ほんの少し、不器用なだけ。

「セヴェリ様、おやすみなさい」

 起こしてしまわないように、ゆっくりと手を離した。

 本音を言えば、別れが名残惜しい。

 子どものセヴェリ様と過ごした日々を思い出してしまい、ついつい長居してしまいそうになる。

 だけど、私たちは前に進まなければならないから、燭台を手にして部屋を出た。

「明日、また会いましょう」

 扉越しに別れの挨拶を伝えると、涙が零れ落ちて頬を伝った。
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