バー・アンバー 第一巻

居酒屋、海鮮風炉

「本来ならお前がこの仕事(デスク)に就く筈なのに抜けやがって、フリーなんぞになりやがって…」という調子で山口は一切遠慮などしないのだ。それはこちらも心得たものでただ粛粛と無給奉仕をする。5時を回って社員たちが帰り支度を始めたところで「おう、もういいよ。海鮮(風炉)行こうや」と解放される。「ちぇっ、相変らず人使い荒いな」「うるせえ、うるせえ。それより例の女のこと、根掘り葉掘り聞く…あ、ご苦労さん」最後の言葉は〝例の女〟を聞き咎めたような目つきで脇を抜けて行った校正係の女性社員に云ったのだ。ウイークエンドの花金でもあり早々と帰って行く社員たちを皆見送ってから我々も施錠をして会社を後にした。
 会社から秋葉原駅に向かって100メートルほど行ったところに海鮮料理や地酒で有名な広い居酒屋がある。宴会席が幾間もある結構なお店だがそこの一角、仕切り版で仕切られた4人掛けの席に俺たちは陣取った。純米吟醸の熱燗を、牡蠣酢や刺身、帆立のバター焼きなどを注文し、差しつ差されつ気の置けない一杯をやり始める。「くーっ、この一杯のために生きてるな」山口が嘆声をもらす。それに微笑みながら「ンだな。もっとも俺はバーでウイスキーのオンザロック…ってやつだけどな」と答えたがそれを聞き咎めたように「だからそれよ、それ。そこのバー…何と云ったっけ?」「アンバー。バー・アンバー」「そうそう、そのバー・アンバー。このあとそこに行こうと云っているのになぜ行かせないのよ?」「無茶云うなよ、山ちゃん。それこそ昨日の電話でのお前のセリフじゃないけど、その年で女?…ってやつだぜ。上(かみ)さんと子供はどうした?これから行ったら帰りは夜中だ」半ば冗談で半ばマジで云ったのだがもちろん山口はそんな男ではない。
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