一日限りの恋人のはずが予期せぬ愛にくるまれました

 その日はさらに追い打ちをかけられた。
 仕事が終わり、帰る前に水を飲もうと給湯室に向かった。
 同僚の話し声が聞こえて、中に入るのをためらった。
 そのため、聞いてしまった。
「天南さんてさあ、いつも鮫島さんの言いなりよね」
「オメガ差別って言われたくないんじゃない?」
「それにしても召使みたいにこき使われてるじゃん」
「利用されてるのわかってんのかな」
「わかってないんじゃない?」
 彼女たちはけらけらと笑った。
 そのまま給湯室には寄らずに帰った。
 
 私はうなだれ、とぼとぼと駅への道を歩いた。
 残業はしなかった。どうせ仕事にならないから。
 日は落ちかけていたが、まだ明るい。
 早く暗くなればいいのに、と思った。
 そうして私を隠してほしい。この気持ちごと全部。何もなかったかのように、何もかも。
 明るく笑いながら行き交う人を見ると、さらに心は沈んだ。
 そんなときだった。
「君!」
 大きな声で呼び止められ、腕を掴まれた。
 振り返ると、男性がいた。
 30を過ぎた頃のようだった。茶色がかった髪の整った顔立ちの人だった。走ってきたようで、息が荒かった。
「俺の運命の番だ」
 突然抱きしめられた。
 周囲の人にジロジロみられる。
 痴漢なのか、と恐怖がわいてくる。
「はいはい、落ち着いてくださいねー」
 同じく30過ぎくらいの黒縁眼鏡の男性が現れた。手には注射器らしきものを持っていた。
 それをぷすっと男性の首に射す。
 う、とうめいて男性がうずくまった。
「お騒がせして申し訳ありません、わたくし、この阿呆(あほう)の秘書をしております」
 眼鏡の男性は名刺を取り出し、私に渡した。
< 7 / 42 >

この作品をシェア

pagetop