『最後の日記』BIRTHDAY~君の声~
第34話■君の声
「春香っ……」と思わず彼女の名前を叫ぶ。
その声が届いた途端、溢れる涙……
そこには昔と変わらない笑顔があった。
駆け寄ろうとしたが信号が変わり、大型車が通り過ぎる。
……とさっきいたはずの場所に彼女はいなかった。
信号が変わり駆け寄ってみると……彼女はベンチの前に倒れていた。
急いで抱き起こして名前を呼ぶと……
「……来て……くれたんだね」
力なく目を開け……涙が残る透き通った目で僕を見て、微笑みながら彼女は言った。
「あの時は……ありがとう…………やっと……言えた……」
なんとも言えない気持ちになり、思わずギュッと抱き締める。
「嬉しい……夢が叶いました」
彼女はゆっくりと右手を伸ばし、僕はその手をとった。
「……ありがとう……それと……」
「誕生日…………
おめでとう……………………………………」
そう言って彼女は目を閉じた。
握り締めていた手は温かかった。
握り直した瞬間、手の中から何かが落ちた。
それは昔、彼女から貰い、回収されてしまった古ぼけたクマのぬいぐるみだった。
僕の誕生日は彼女の命日になった。
後日、救急搬送をした縁で招かれた葬儀が終わった後……
帰ろうとしていたら、「お世話になったお礼です」と孫だという高校生位の女の子から紙袋を渡された。
「おじいちゃんの一周忌に……おばあちゃんが遺影と古い缶を抱き締めながら泣いてるのを見ちゃったんです……あなただったんですね」
女の子は僕を意味深に見つめながら、こう言った。
「こっちは日記で、こっちは昔、おばあちゃんが作った曲です。本当はあなたに届けたかったんだと思うから……」
訳が分からないままの僕に続けた。
「最近は調子よかったけど、心臓に持病があって一時は危ない時もあったんです」
「でもうわごとで『約束があるから』ってなんとか持ち直して……『死ぬなら希望の中で死にたい』って言ってました」
「おばあちゃんの好きな言葉だったらしいです……昔作ったアルバムのタイトルも『希望』なんですよ。娘の名前にもつけちゃうくらい」
そう言えば結婚式の時に、そんな名前のついたCDを貰った気がする。
「娘さんは……なんてお名前なんですか?」
やっと声を絞り出す。
「未希……未来の希望です。元々は違う名前が候補だったらしいけど……おばあちゃんがどうしてもこれがいいからって…………そして私の名前は……」
「名前は?」
「……悠希です。おんなじですね」
そう言ってはにかむ笑顔が彼女そっくりだった。
「母さんが決めたんですけど、それを聞いたおばあちゃんが、びっくりしてお玉落としたって……もしかしたら偶然じゃないのかも……(ボソッ)」
お孫さんの最後の一言が気になりながらも……家に帰り、貰った音楽データの曲をかけながら日記を読む。
そこには僕の知らない想いが沢山詰まっていた。
一つ一つ確認するように読み進めていく。
あの時こんな風に思っていたなんて……
驚きと幸せと何かの感情が込み上がり、涙で文字が見えなかった。
胸ポケットの中から最期に貰った誕生日プレゼントを取り出し、そっと握り締めて思い出す……
職場で出会って初めて迎えた僕の誕生日に、彼女から「おめでとう」と貰った時の嬉しさ。
「捨てたって言うんだよ」と言われた時の驚きと、「捨てた」と言った時のつらさ。
退職後、「会いたい……出来れば今すぐ……もう一度、クマのぬいぐるみが戻ってきますように」と願った誕生日の夜。
秋祭りの日、散々悩んで電話したくせに……コール音を聞いた途端に急いで切ってしまった時のドキドキと、連絡の来ない空しさ。
最後に目を閉じる前……何かを伝えたそうな優しい眼差しで僕を見つめ、一生懸命口を動かしていたこと。
声になっていなくて分からなかったが、クマをもう一度握り締めた瞬間……
彼女の声が聞こえた気がした。
「誕生日おめでとう」の後の言葉が……
「…………僕もだ……」
なぜこんなに涙が出るのか自分でも分からない。
僕達は一度もお互いに「好き」という言葉を言わなかった。
だけどそれ以上の何かで通じ合っていた。
『君の声』という曲を聞いて何度も思い出した。
名前を呼ばれて振り向いた時の、泣きながらだったけど一番の君の笑顔を……