悪役令嬢として婚約破棄されたところ、執着心強めな第二王子が溺愛してきました。2
本屋での出会い
「先輩、アイリス先輩~~! 今日は待ちに待った新刊の発売日ですね!!」
 アイリスが王宮魔獣研究所に出社すると、真っ先に後輩のリッキーがやってきた。しかも話題は仕事のことではなく、今日発売の本のことだ。
「ええ、私も楽しみにしていたの」
 はしゃぐリッキーにくすりと笑い、アイリスは頷く。

 王宮魔獣研究所に勤めている侯爵家の令嬢、アイリス・ファーリエ。二十歳。
 長く美しいプラチナブロンドの髪に、菖蒲色の凛とした瞳。可愛いというよりは美人と言われる部類で、背も百六十七センチメートルと少し高めだ。
 しかし背が高いこともあって、白衣をベースにした制服がよく似合う。紺を差し色にした細身のベルトが組み込まれたデザインで、グレーのシャツの胸元には水色に白いストライプが入ったリボンタイをつけている。
 そんな彼女はかなりのワーカホリック女子なのだが、実は大きな秘密がある。
 それは、転生者だということ。
 この世界――乙女ゲーム『リリーディアの乙女』をプレイしていた前世の記憶を持つ、元日本人だ。
 今はエンディングを迎え、第二王子で王太子になったラディアスからなぜか熱烈なアプローチを受けるという毎日を送っている。

 そんなアイリスが働く王宮魔獣研究所は、王城の片隅にある。
 この世界に巣くう魔獣の生態や、魔獣の出す瘴気(しょうき)を研究するために広く造られている重要な研究施設だ。
 しかし、「魔獣を扱うなんて危険だ!」と研究所のことを快く思っていない人も一定数存在する。そういった人物は、特に魔獣と直接かかわることのない貴族に多い。
 研究所から徒歩十五分程度の場所に、魔獣舎があることも原因のひとつだろう。
 しかし勤めている研究員たちは、魔獣から国を救いたいという気持ちで働いているし、実際に魔獣による被害で家族を失った人もいる。
 アイリスは研究所の有用性が早く広く知られるようにと、日々努力を重ねているのだ。

「本は楽しみだけど、今は仕事をするのが先よ。今日は定時に終わらせて、一緒に本屋に行くのはどうかしら?」
「それは名案です!!」
 リッキーはアイリスの提案に目を輝かせて、「そうと決まれば早く仕事にとりかからねば!」と一瞬で席に戻っていってしまった。やる気に満ち溢れているみたいだ。

 自分の席についてバリバリ仕事をこなし始めた、後輩のリッキー。十六歳。
 肩上で切りそろえられた赤茶の髪に、黄緑色のパッチリした瞳。制服のリボンタイは、花の型をした留め具で留めている。
 元気いっぱいの女の子で、恋バナが大好物。実はアイリスとラディアスの恋の行方がどうなるかが、今一番気になっているポイントだ。

 すでに今日の仕事にとりかかっているリッキーは、いつもより作業スピードが速いように見える。よほど楽しみなのだろう。
(私も定時に上がれるように頑張らないと)
 自分がリッキーに提案したのに仕事が終わりませんでした、では笑えない。アイリスも自分の席に座って、すぐ仕事にとりかかった。


 カリカリとペンを走らせ、書類の処理を終わらせる。横を見ると、何枚もの処理済みの書類が積み上がっていた。
(……休憩するのも忘れて、夢中になっちゃったわね)
 チラリと窓の外を見ると、もう夕方だ。昼食を取った後は、ほとんど休むことなく書類と格闘していた。おかげですべて終えることができたけれど。
 アイリスはぐぐーっと伸びをしてから、リッキーの方を見る。
(リッキーは大丈夫かしら?)
 もし進みが悪いようなら手伝おうと思っていたアイリスだが、リッキーはすでに仕事を終えたらしく満面の笑みを返してくれた。
「終わりましたよ、先輩! 本屋に行きましょう~!」
 リッキーがぶんぶん手を振るのを見て、アイリスは「そうね」と頷く。そして帰り支度のために席を立つと、「アイリス」と名前を呼ばれた。
「え? あ、所長」
 アイリスを呼んだのはグレゴリーだった。その瞳はどこかワクワクしていて、アイリスは彼が何を言いたいのかわかってしまった。
「ええと……所長も一緒に行きますか?」
「いやぁ、催促したみたいになってしまってすまんの。じゃが、(わし)も新刊は絶対にゲットしたいんじゃ」

 ドヤ顔で新刊ゲット宣言をしたのは、所長のグレゴリー。七十三歳。
 魔獣の生態研究が大好きな人で、その知識は国内随一。魔獣の生き字引とも呼ばれているが、その見た目は優しいおじいちゃんだ。
 アイリスと同じく本が大好きで、よく本の感想会を開いたりしている。

 帰り支度をしたリッキーが「所長も一緒ですか?」とこちらにやってきた。
「ええ。いいかしら?」
「すまんのう、いきなりで」
「構いませんよ! また感想会しましょうね」
 好きなものはみんなで共有したら、さらに楽しい。
 ニコニコ笑顔のリッキーに頷き、アイリスたちは研究所を後にして本屋へと繰り出した。

     ***

 研究所を出て本屋へ行く道すがら、グレゴリーは「そういえば」と口を開いた。
「明日、研究所に来客があるんじゃ。しばらく滞在するから、その予定でいてくれ」
「研究所にですか? しばらく滞在するのは珍しいですね」
 アイリスは頷きつつ、了承する。
 今までも王宮魔獣研究所に人が来たことはあるが、簡単に見学をして帰るのがほとんどだった。
 その理由は、見学者のレベルが低かったというのが大きいだろうか。
 アイリスが勤めているのは仮にも王宮魔獣研究所なのだ。この国の最先端の研究結果が詰まっている。実はそう簡単に研究員になれる機関ではない。
 そのため、かなりの知識量か、もしくは熱意がなければついていけなくて帰ってしまうのだ。本のことで盛り上がったりもする楽しい職場ではあるが、議論が始まれば何時間でも……という人間も多い。
(みんなワーカホリック気味なのよねぇ)
 なんてアイリスは苦笑するが、アイリスも重度のワーカホリックだ。
「せっかくなら、イケメンが来てくれると目の保養になって嬉しいですねぇ」
「リッキーったら」
 職場に潤いを!なんて言うリッキーにアイリスは笑う。
「外見は別に気にしないけれど、研究熱心な人が来てくれたら嬉しいわね」
 そしてアイリスにない知識などを持っていたら、新しく勉強することもできる。
「アイリス先輩は真面目すぎます! あ、でも……ラースがいますもんね!」
 にやにや笑うリッキーに、アイリスは苦虫を噛み潰したような顔をする。リッキーはラースの本性を知らないから、こんな風に簡単にからかってくるのだ。
「ほら、本屋が見えたわよ」
 恋愛話はいたしませんと言うアイリスに、リッキーは「残念」と苦笑した。

 赤い屋根の大きな建物で、入り口には本の絵が描かれた看板が掲げられている。この街で一番大きな本屋だ。
 アイリスたちがさっそく中に入ると、すぐのところにお目当ての新刊が山積みになっていた。それを見て、目がランランと輝く。
 欲してやまなかった新刊はルーベン著、〈今日も旅人〉シリーズの最新刊『魔物の起源』という本だ。
「わああぁ、いっぱいありますよ!」
「前回の新刊は売り切れで発売日にゲットし損ねたから、嬉しいのう」
 リッキーとグレゴリーはいそいそと新刊を手に取り、はしゃいでいる。もちろんアイリスもすぐ一冊手に取り――しばし考えてからもう一冊手に取った。
「あれ? アイリス先輩、二冊買うんですか?」
「え、ええ」
 二冊手に取りはしたけれど、アイリスはリッキーに問われてやっぱりやめた方がいいのでは……と悩む。
 というのも、別に自分が買わなくてもまったく問題がないからだ。むしろ思わせぶりな態度はよろしくないのでは!?と、贈ろうと思っていた相手のことを考えて思う。
 そんな風にアイリスが葛藤していると、どうやらリッキーがピンときたようだ。
「もしかしてもしかしなくても、それ、ラースにプレゼントしようとしてます?」
「――っ!」
 どうやらバレバレのようだ。リッキーはにやにやする顔を隠すことなく、嬉しそうに聞いてくる。
「ラースもこの著者の本が好きみたいだったから、何となくよ。ほら、仕事が忙しくて買いに行けないだろうし……」
「さっきは素っ気なさそうだったのに……愛ですねぇ」
「違うわよ!」
 にやにやしっぱなしのリッキーに、アイリスは否定する。
 確かにラースに求婚はされているが、それに了承の返事をしたわけではないのだ。
(ラースのことは、同僚としては尊敬するし、優秀だということは認めるけど……)

 まごうことなき――変態なのだ。

 ただ、注釈で『アイリス限定』とつくけれど。
 しかし普段は本当に優秀な人間であるため、リッキーやグレゴリーを始め、アイリス以外のほかの人はラースが実は変態であるということを知らないのだ。
(きっと、言っても信じてもらえないと思う)
 それほどまでに、ラースの外面はいい。
「ほらほら、本をプレゼントする口実で会いに行けば――ん?」
 リッキーが買うように急かしてくると同時に、「まさかルーベン先生ご本人にご来店いただけるとは!」という声が聞こえてきた。
 見ると、書店員と、もうひとり二十代後半くらいの男性がいた。
(え、ルーベン先生……?)
 アイリス、リッキー、グレゴリーの三人は顔を見合わせて目をぱちくりさせる。それも仕方ない。ルーベンとは、お目当ての本の作者の名前だからだ。
「え? え? え? え? 嘘、今あの人、ルーベン先生って言いました……よね!?」
「儂の耳は確かに聞いたぞい……!!」
 リッキーとグレゴリーはぐわっとテンションが上がったようで、ルーベンと呼ばれた人物に釘づけだ。
「はわ~、サインとかもらえたりしないかな……?」
 購入するため手にした本を見ながら、リッキーが願望を口にした。それには、アイリスもグレゴリーも無条件に頷いてしまう。
 すると、アイリスたちの視線に気づいたらしい書店員とルーベンがこちらを見ていた。
「あ……。すみません、その、ルーベン先生だと聞こえてしまって」
 作者だと書店で盛り上がったら、きっと迷惑だろう。そう思ってアイリスが謝罪の言葉を口にするも、ルーベンは「構いませんよ!」と笑顔で対応してくれた。
「俺の小説のファンだなんて、嬉しいなぁ!」

 気さくに笑顔を見せてくれた、作家のルーベン。
 薄茶の髪に、好奇心旺盛な緑の瞳。比較的ラフなジャケットを着ているが、体は引き締まってがっしりしている。恐らく旅をしながら作家活動をしているからだろう。

 ルーベンのファンサービスには、リッキーもメロメロだ。
「本当ですか!? わあぁ、嬉しいです! 家宝にします!!」
「同じく家宝にします!」
 リッキーだけではなくグレゴリーもメロメロになっていて、いそいそと本を差し出している。
「って、ふたりともまだ購入していないですよ!」
「そうでした!!」
「そうじゃった!!」
 アイリスが慌てて待ったをかけると、ふたりはすぐに会計を済ませる。店員も一緒にいたので、スムーズに対応してもらえた。
 リッキーとグレゴリーのサインが終わると、ルーベンはアイリスのところにやってきた。
「あれ? 君は二冊買ってくれてるのかい?」
「あ……これは……」
 うっかり勢いに任せてラースの分も買ってしまった。めちゃくちゃ喜ぶ姿が簡単に想像できてしまう。
「し、知り合いもファンなので、あげようかと思って……」
「何でそんな渋い顔を……」
 ラースの分も買ってしまった自分に何ともいえない気持ちになりつつ告げたアイリスの顔は、面白いものだったようだ。
 ルーベンは笑いつつも、サインをして「名前は?」と聞いてくれた。
「私はアイリスで、もう一冊は――ラースでお願いします」
「オーケー!」
 本当は自分の分だけ……と思ったのだが、ルーベンはさっと二冊ともサインをしてしまった。何というか、ファンサービスがいい。
「どうぞ。いつも読んでくれてありがとう」
「こちらこそ、ありがとうございます。いつも楽しみにしているんです」
「アイリスへ」と書かれているルーベンのサインを見て、アイリスは頬が緩む。
 まさか、憧れの作家に偶然出会って、さらにサインまでしてもらえるとは思わなかったからだ。
(……夢みたい)
 リッキーやグレゴリーではないけれど、確かに家宝にしてもいいかもしれないとアイリスは思った。

 本屋からの帰り道は、ルーベンの話題で持ち切りだった。
「まさか作者に会えるとは思いませんでした! これはもう、明日は自慢しまくるしかないですね!」
「ルーベン先生のファンは多いものね」
 アイリスが頷くと、リッキーはあまりの嬉しさに本とダンスでもするようにクルクル回っている。
「これこれリッキー、そんなにはしゃぐでない」
「はぁい」
 そう注意したグレゴリーだったが、「サイン本に合うワインか何か買って帰らないといけないのう」と内心ではかなり浮かれているようだ。
(明日は大変なことになりそうね)
 アイリスがそんなことを考えていると、前を歩いているリッキーが「あ!」と声をあげた。
「先輩は、このままラースのところですよね? 頑張ってくださいね!!」
「頑張ることなんて何もないわよ」
「ええぇぇ!?」
 リッキーの言葉にすぐさま返すと、信じられないと言わんばかりのブーイングを受けてしまった。恋バナ好きなリッキーとしては、新たな展開を期待しているのだろう。
「というか、次に職場で会ったときに渡したらいいんじゃないかしら?」
 別に本は賞味期限があるわけではないので、数日後に渡したってまったく問題はない。が、それにはリッキーだけではなく、グレゴリーまでもが首を振った。
「そんなの悲しいですよ! ラースは間違いなく、先輩が来るのを待ってますもん!!」
「それは駄目じゃ! ラースが待っているのはもちろんじゃが、新刊だってすぐ読みたいはずじゃ!!」
(所長は間違いなく新刊を読ませたい派ね……)
 ラースに本を渡しに行かなければ、出勤したら本を渡したか聞かれ続けそうだ。アイリスは苦笑しつつ、「わかったわ」と返事をするしかなかった。

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