水槽の人魚は、13年越しの愛に溺れる
「あのね、ほんとは大人になっても、一人じゃ人魚になったらいけないの。足が攣ったら、溺れて死んでしまうから」

 大きな水槽の中で、特殊な訓練も受けずに泳ぎたいなど自殺行為だ。どうやら幼い真央も、しっかりと水槽の中で泳ぐ危険性を理解しているらしい。少年が真央の言動に感心している間に、暗い表情をしていたはずの真央が持ち前の明るい笑顔を見せたのは、それからすぐのことだった。


「でもね、この水槽の中は透明だから!わたしがこの中で人魚になって泳いでいる時、溺れても、水槽を見ている人が、大変だーって大騒ぎするでしょう?」

「……水槽の中で溺れているのを見つけたとしても、すぐには助けられないよ。この水槽には3階から入るんだ。ここは1階だから……」


 大きな水槽は水深がかなり深く、出入り口は3階にしかない。従業員通路を駆け回ったとしても、水槽まで飛び込むには最低でも5分は掛かるだろう。それでは到底間に合わない。人間は数十秒もあれば、音も立てずに溺死するからだ。


「もし、人魚さんになってから海へ一人で行ったとして。足が攣ったら、誰にも知られることなく死んじゃうんだよ。この水槽の中なら、もしかしたら助かるかもしれないし、みんなが見ている前で死ぬかもしれない」


 真央は人魚になる危険性を、幼いながらによく理解している。

 人魚になるのは簡単だ。2本の足を1本の尾ひれに見立て、フィッシュテイルとモノフィンを装着する。胸元は水着で隠せば、人間は簡単に人魚へ変貌を遂げるのだから。


 見た目は簡単に人魚を模すことはできても、泳ぎ方ともなれば話は別だ。真央は10歳まで、ハワイで暮らしていた。ハワイのビーチには野生の人魚がたくさんいて、真央がフィッシュテイルとモノフィン片手にビーチに繰り出せば、優しいお姉さんたちが真央に付きっ切りで人魚になるための訓練に付き合ってくれていたのだ。

 人魚になるための訓練を受けていなければ、真央は水族館の水槽内で人魚になりたいなど、考えることはなかっただろう。
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