水槽の人魚は、13年越しの愛に溺れる
 この様子では、海里に言い寄っているようにしか聞こえなかった紫京院も、海里には届いていないかもしれない。


「紫京院さん……。海里と、何があったの……?」

「あなたには、関係のないことです」

「関係はあるよ!海里は私の彼氏だもん!将来を誓い合った、仲なんだから……!」

 真央は手に持っていたフィッシュテイルを床へ投げ捨てると、心ここにあらずな様子の海里へ飛びついた。


「海里……っ。真央だよ……!真央は、こにいるから……!」

 海里の心は、マーメイドを象る真央のものだ。フィッシュテイルとモノフィンを足につけて、水槽の中で縦横無尽に泳ぎ回る真央を、海里は愛している。

(水槽の中で泳いでいない私じゃ、海里に、声は届かないかもしれない)

 人魚姿の真央と、トレードマークの金髪を黒髪ウィッグで隠した状態の真央では、海里の態度は明らかに異なっていた。

 水槽の中で人魚姿になって泳いだ方が海里のウケがいいとわかっていても。真央は海里の言葉を信じて、必死に彼を正気に戻そうと海里の名を呼び続ける。

(海里は人魚じゃなくても好きだと、私に伝えてくれたから……!)

 真央が水族館で働くようになってから、海里は水槽の中で泳ぎ回る人魚と川原真央が同一人物であると認識しているようだった。


 真央以外の女が海里の名を叫んだ所で、正気には戻せないとしても──真央の声であれば、海里の正気を取り戻せる。


(愛の力さえあれば、私と海里に不可能なんてないんだから……!)


 真央の声が至近距離で聞こえることに気づいた海里は、焦点の合わない瞳を真央へ向けた。



「海里……!」



 人魚姿になれば、今すぐにでも海里は真央を抱きしめてくれるはずなのに。

 海里は焦点の合わない目でぼんやりと真央を見つめ続けていた。

「あなたの呼びかけには、答えないようね」

「違うっ。違うもん!海里は私のこと、大好きだから……っ。もう少ししたらきっと……!」

 いつもみたいに、抱きしめて愛を囁いてくれるはずだと。

 海里を信じている真央は左右に首を振り、海里に抱きつく力を強める。

 日頃の疲労が溜まっているからか。現実逃避をする要因でもある紫京院がいるせいだと、真央は気付けなかった。
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