水槽の人魚は、13年越しの愛に溺れる
(ほんの少しだけ、ほんのちょっとだから)
少しの油断が命取りになることなど、真央だって痛いほど理解している。それでも真央は、12年前とは変わってしまったという海里の姿を見て、話をする前に。真央のマーメイド姿を見て、元気になってほしかったのだ。
真央は水槽の中で、縦横無尽に泳ぎ回る。まるで水を得た魚のようだ。真央は人間として生まれたが、人魚の姿になって水の中で泳ぐ時こそが、自分が一番生きていると実感する時だと考えている。
(おにーさん、どこだろう?)
真央は12年前と比べて横幅が狭くなった代わりに、水深が深くなった水槽の中で、海里の姿を探した。くるくると回転し、水槽の中で揺蕩う人魚が愛する人を探すのは、そう難しいことではない。
(いた)
海里の姿は、すぐに見つかった。
映画館のシアター席のような、連結された椅子の中央。最前列に座っている男性と、目があったからだ。当時14歳の少年だった彼は、大人の男性に成長していた。
(おにーさん、真央だよ!)
真央は水槽の中でくるくると回転しながら泳ぐのを止め、水槽のガラスに両手をつけた。ぼんやりと椅子に座っていた海里は、真央の姿を見つめると、大きく目を見開く。
(気づいてくれた)
真央はうれしくなって、にこにこと水槽の中で笑顔を浮かべた。
海里はよろよろとおぼつかない足取りで椅子から立ち上がると、今にも前のめりに倒れてしまいそうなほど危うい仕草で水槽のガラスに両手を伸ばす。真央と海里は、ガラス一枚を隔てて見つめ合った。
(おにーさん。真央のこと、わかる?約束、守りに来たよ!)
ガラス一枚隔てて両手を重ね合わせれば、海里は切なげに瞳をゆらゆらと揺らがせ、静かに目を閉じる。その瞳に、喜びの感情は見受けられない。手を伸ばしても、絶対に触れてはならないものを目の前にした苦しみだけが、海里の表情からは見受けられる。
(つらいの?苦しいの?真央が来たから、もう、大丈夫だよ。おにーさんのこと、一人にしない。真央が絶対守るから。幼い頃、私に優しくしてくれた分だけ……)
今度は真央が、海里を幸せにする番だ。
真央は静かに目を閉じ、涙を流す海里の瞳を開かせるために、コツコツと手で水槽のガラスを叩いた。
(会いに行くね。大好きだよ)
目を見開いた海里の唇に、ガラス一枚隔てて口付ける。目を細めた海里の姿を見た真央は、満足そうに微笑むと、上空を指し示してくるくると腰を動かし、水槽から上がった。