水槽の人魚は、13年越しの愛に溺れる
 真央の声で館長と呼ばれたことに納得がいかないのか、海里は難しい顔をしながら拡声器のスイッチを切った。



「真央……また休日出勤か。休めとあれほど……」

「実はこの後、スペシャルゲストを呼んでいます!」

「ゲスト?」

「みなさーん。どうぞー!」



 真央に招き入れられた碧と川俣、そして散り散りになった元里海水族館のトレーナー達が姿を見せた。かつんと、海里が落とした拡声器が音を立てる。

 海里の瞳が、驚きで見開かれた。



「まじで仕事してんじゃねぇか」

「だから言ったろう。真央ちゃんのお陰だよ」

「大きくなったなあ」

「海里くんと真央ちゃんが……こうしてまた、この場所で肩を並べているなんて……」

「なんで…………」

「真央が戻って来いってよ。ショーを再開するんだと」

「ここも満員で、館内も人で溢れている。里海にこれだけの人が戻っているとは思わなかったよ。テレビの特集効果かな……?」



 状況が飲み込めない海里が床に落とした拡声器を拾った真央は、そのまま海里の背中を押して客席の最後列まで引っ張っていく。海里の定位置だ。

 ぞろぞろと6人で横並びになり、ショーを観覧する。



 海里はショーが始まってもぼんやりと水槽を見つめながら、目が泳いでいる。緊張しているのだろうか。タイミングを見計らってこのまま碧達と話さず逃亡してしまいそうだ。



「……っ」



 真央は海里の手を握った。離れないように。ぎゅっと握りしめた手は、じんわりと汗が滲んでいる。

 紫京院と海里が婚約者である以上、表立って堂々と手を繋ぐようなことはするべきではない。真央だってよく理解していたが、碧たちの前では別だ。



 碧達は真央と海里が12年前、婚姻の約束をしたと知っている。紫京院の婚姻をよく思っていない彼らの前だからこそ、真央は海里の手を繋ごうとしたのだ。



 巨大水槽の中で泳ぐ妹は、真央と目を合わせると引き攣った笑みを湛えていた。

 あれは真央を避難するような目線だろうか。それとも、後方の席で熱心に水槽を見つめる、自社の社長が気になるのか――真央はショーが終わるまで、海里の手を繋ぎ続けた。



「本日は、ご来場。誠にありがとうございました!後方のお客様から順番にご退場くださーい!」

「……真央……?」

「碧さん、後はよろしくお願いします!」

「ミーティングルーム、まだあるよな。行くぞ!」

「私はお客さんを退場させて、真里亜と社長さんを回収してから行きまーす」

「おう。そっちは任せた。うまくやれよ」

「はーい」



 喧嘩せずにうまく労働条件を擦り合わせて欲しいと願うのは、真央だって同じだ。

< 91 / 148 >

この作品をシェア

pagetop