竜のつがい

3.つがいの少女


 竜人族の集落は、人の足では辿り着けぬ、まるで天国のような場所らしい。
 ミツグはそんな話を耳にしたことはあったが、自分には一生縁のない場所だと分かっていたから、憧れすらしなかった。

 おっとりとして身体も弱いミツグは、物心ついた頃から村で疎まれていた。
 母は美しかったそうだが早くに亡くなり、目がぎょろりと大きく、物思いに耽ることの多いミツグは周囲に不気味がられ、労働の役にも立たないし、どこかへ嫁がせることもできない穀潰しだと疎まれていた。
 竜人族のつがい探しが始まり、村の少女が次々と連れられていく中、ミツグには最後まで声がかからなかった。
 村の者たちは、こんな娘を連れて行って竜人族の怒りに触れてはたまらないと恐れたのだ。
 結局、一ヶ月経ってもつがいは見つからず、どこかに女児を隠してはいないかと、恐ろしく激しい雷が何度も落ちた。竜人族の怒りの象徴だった。

 こうなれば仕方ないと、村長はおそるおそるミツグを差し出した。
 すると信じられないことにミツグが選ばれ、誰もが驚いた。
 村は潤い、みなミツグに感謝して、喜んだ。

 屋敷に召し上げられたミツグには、「美嗣」という名前が与えられた。
 栄養豊富な食事に、貴人しか入れない風呂を毎日使えるし、さらに作法や文字の読み書きも教わり、美嗣の生活は一変した。
 日々忙しく大変だったが、自分の名前の意味を知り、こんな素晴らしい名前をもらえたことに舞い上がるようだった。
 村で呼ばれていたミツグという名は、貢ぎ物にすらなれない女と揶揄されてそう呼ばれていたことを、彼女はちゃんと知っていた。

 屋敷に来た頃に比べ、美嗣は肌つやもよく、透き通った肌に黒い髪が印象的な少女に育っていった。
 侍女たちはたまに怖いが、彼女のためを思い、礼儀や言葉遣いや様々なことを教えてくれて、自分のことを「つがい様」と呼ぶ。
 美嗣は辿々しくはあるが、つがいとしての所作をずいぶん覚えてきた。
 それでもやはり性格は変わるものではなく、彼女は、美しく整えられた庭をぼうっと眺めるのが好きだった。

 いつものようにそうしていると、突然屋敷内が騒然とし、美嗣はびくりと身体を震わせた。

「つがい様……! 何をなさっているのです! 氷蘭様のお帰りですよ!」

 侍女が、何をすればいいか分からず呆然と立つ美嗣を厳しい目で見る。

「あっ」

 美嗣からすればとっくに身支度なんて調っているのに、さらに髪を整えて紅を塗られる。
 美嗣はこの時間はあまり好きではない。
 もたもたしていると怒られる。そもそも、素早く動くのが得意ではない。
 なぜあれがつがい様なのだろう、と氷蘭不在の折に囁かれる声は、美嗣にもしっかり届いていた。

「氷蘭様がいらっしゃいました!」

 慌ただしげだった部屋から、侍女たちが去って行く。
 おたおたと立ち尽くす美嗣の腕を侍女頭が強引に引き、畳に頭をつけさせられたところで、ふすまが開かれた。
 清涼な空気が、そちらから流れ込んでくる。

「……美嗣」
「……っはい! 氷蘭様、お帰り、とても嬉しく、存じます」
「顔を上げていい」
「はい」

 顔を上げた美嗣の前に、美しい銀髪の人が立っていた。
 頬が勝手に赤く染まっていく。なんて美しいのだろう。はじめて会った時から何度も感じているが、彼は本当に神様のようだ。
 会うのは、三ヶ月ぶりだろうか。
 美嗣と目が合うと、彼は眉を寄せ、忌々しそうに視線を逸らせた。

「……っ」

 美嗣は唇を噛みしめて俯いた。
 この美しいつがい様が、自分をよく思ってはいないことは、鈍感な美嗣にだって分かる。
 なぜこれが自分のつがいなのかと、彼が思っていることも。

「……下がっていい」

 残っていた侍女頭にそう言うと、部屋の中には氷蘭と美嗣、二人きりになった。

「どうだ、ここでの暮らしは」

 氷蘭がそう聞き、美嗣はしつけられた最低限の礼儀で答える。

「とても、良くして、していただいております、おら……いえ、私には十分すぎる待遇です」
「俺がいない間、侍女の態度に問題があればなんでも言っていい」

 美嗣は嬉しくてつい笑みを浮かべた。
 氷蘭は、冷たい態度を取りながらも、とても優しい。

 美嗣の笑顔を目にした氷蘭は驚愕したように目を見開き、そしてまた目を逸らせた。
 美嗣はまた俯いた。
 でもこの優しさは、自分がつがいだからだ。
 美嗣だからではない。
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