桜ふたたび 後編
マダム・ネリィは言った。

〈澪の心が不安定なのは、根深い自己否定にあります。だから、自分に向けられる愛さえも、彼女は信じてはいないのです〉

ショックだった。愛することも、愛されることにも怯えていた澪。彼女はまだ、あの嵐の夜のまま、暗闇に立ち尽くしている。こんなにも狂おしいほどに愛しているのに。

「何かありました?」

「いや、どうして?」

「何となく──」

ジェイは詮索を怖れて唇を塞いだ。次第に澪の呼吸が変わる。
ジェイは、バラ色に昂揚した頬をそっと撫でた。

「Love me do(私を愛して)」

躊躇うことなく、澪は濡れた瞳で頷く。

「Yours forever(永遠にあなたのものよ)」

この白露のような存在を永遠に側に置きたいと、彼女に手を掛けようとしたこともあった。あの頃は奪うことしか念頭になかった。
だが今は、彼女に与えてやりたい。彼女が生まれてきた意味を、彼女が存在する理由を、死してなお不変な愛の証を、目に見える確かな形で。

「my wifey、お願いがあるんだ」

「何でも」

ジェイは澪の髪を愛おしそうに撫でて、言った。

「子どもが欲しい」

澪の体がいっとき強張った。

「もう、待てないんだ」

切羽詰まったような声に、澪は驚いてジェイを見つめた。
瞳の中の湖が揺らいでいる。やはり、何かあったのだろうか。彼がこんなに自信のない表情をするなんて。きっと、澪が曖昧なままでいることが不安にさせているのだ。

澪は瞼を閉じて自分自身に確認した。

──大丈夫、絆しは消え失せた。

本当は、その言葉を待っていたのだと思う。

〈結婚して、子どもを作って、温かい家庭をふたりで築こう〉

それは澪がずっと心の底に押し隠していた夢。今は言挙げしても赦される。

澪は口元にたおやかな微笑みを浮かべ、しっかりと揺るぎなく頷いた。

「ふたりでたくさん愛してあげましょうね」
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